福岡県立美術館
先日の休みに、福岡県立美術館へ展覧会を観に行った。
日本に妖怪ブームをもたらした、“ゲゲゲの鬼太郎”の作者でおなじみ、
漫画家、故・水木しげる氏の企画展、“追悼 水木しげる ゲゲゲの人生展”だ。
惜しくも一昨年に93歳で亡くなられた、水木しげる氏。
ちょうど三回忌となる頃、福岡での追悼展開催となった。
日本の少年たちの間に、一大妖怪ブームを巻き起こした、ゲゲゲの鬼太郎。
自分も小学生の頃、図書館で妖怪大図鑑を借りてはスケッチブックに書き写しており、
その後、流行したロッテのビックリマンチョコの、ビックリマンシール。
それに登場する悪魔たちも好きで、妖怪たちと一緒に悪魔たちを書いていると、
いつの間にかスケッチブックは百鬼夜行になっていた。
今でも大切に保管してある、ファミコンカセット、“ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境”。
バーチャルコンソールにリリースされれば速攻でダウンロードするのだけど、
版権が絡むのだろうか、こういったアニメや漫画キャラを扱った作品は、ほとんどリリースされないのが現状。
初めて買ったファミコンソフトは、“ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境”。
友達とこれをサルのようにやり込んでは、ループするステージを周回していた。
最近になってリメイクされたものは、水木色が薄れてしまい観ていない。
また小学校高学年のときのものも、夢子ちゃんとか人間のヒロインが出てきて、
オカリナを武器にしたりと、その新要素の部分は受け容れられなかった。
鬼太郎のヒロインは、やっぱり猫娘だろう。
大人になってからも水木氏の作品に触れることはあった。
“河童の三平”を読んだのはつい最近。
読んでる途中で主人公らの冒険の目的が分からなくなるくらい、
トンデモ展開で脈絡のないストーリーが、水木氏的で魅力的だった。
“私はゲゲゲ”はじめ、水木氏の自伝漫画も読んだ。
戦地で片腕を失うことや、原住民とのふれあい。
帰国後、結婚し、極貧生活のなか漫画家としてデビューし、
晩年に妖怪研究家になるまでを認めた、とても面白い内容だった。
近年ではNHKの連続ドラマで、
水木氏夫人の布枝氏の自伝エッセイを原作にした、“ゲゲゲの女房”が話題となった。
香川照之主演でNHKで放送されたスペシャルドラマ、“総員玉砕せよ!”もすごく良かった。
戦争の理不尽さや悲壮感、ただそれを強く訴えるだけでなく、
水木氏独特のユーモアと、周りに流されない生きざまが余計に突き刺さった。
十数年前に販売された、食玩の鬼太郎シリーズ。
フィギュア自体も大きめで、当時としてはなかなか高価だったように思う。
妖怪ポストの根元が折れてしまってた・・・。
以降のフィギュアはすべて同シリーズのもの。
そんな大好きな水木しげる氏の、生涯を通した作品や資料の展覧会。
これは観に行かないわけにはいかない!
福岡中心部にある美術館。
土日に行ったんじゃ、絶対混雑するはず・・・。
そう思い、わざわざ平日の正午くらいを狙って行った。
この日はちょうど雨模様。
でかした!
この天気なら、さらに人が少ないと予想できる。
購入した展覧会図録
駐車場がいっぱい・・・。
すぐ近くにある市民会館で何か催されていたのか?
人でごった返していた。
絶対、ここに来た連中が美術館の駐車場に車を止めやがったな・・・。
駐車場内の少し空いたスペースに車を寄せて、出る車を待つ。
ちょうど若いカップルが車に乗り込み、今まさに出ようとしていた。
よかった・・・なんとか止められそうだ。
ネズミ男
札束を持って恍惚の表情をしているが、電柱には「ニコニコローン」の貼紙が・・・。
ちなみに後ろの貼紙には、「小便するな」と書かれてある。
こういった細かいところも、このシリーズの魅力だった。
!
後ろから、年配の女性が運転する軽自動車が来て、
自分の車をやり過ごし、出る方が優先にも関わらず、
若いカップルの車の進路をはばみ、その手前に車を止める。
何度か切り返しつつ、カップルの車が出ると、すかさずそこへ車を入れる年配の女性。
わしが先に来て待っちょうのが分からんのか!
駐車場には一応スタッフがひとり居て、
誘導したり、「満車です。」とか言ったりはしていたが、ひとりで対応できるはずもなく、
そのスキを突いて、このババアの車は進入し、まんまと車を止めやがった。
けっきょく自分は、枠線の引かれた駐車スペースではないが、
いちばん奥にあった空きスペースに車を止めることに。
購入した湯呑
水木キャラが多数描かれている。
やれやれ・・・この付近、土地勘がないから、有料駐車場を探すのが面倒だったのよね。
なんとか車を止められてよかった。
しかし、あのババア・・・いるのよね、たまにああいうの。
ATMとかコンビニレジとか、フォーク並びで列できてんのに、
その列を無視して、わざとなのかなんなのか、いけしゃあしゃあと割り込むババア。
猫娘
ふだんは愛らしい猫娘も、獲物を捕えたときはこんな凶暴な顔になる。
ネズミ男に襲いかかるときもこの表情に。
まあ、そういうのは置いといてだ。
せっかく来たのだから、水木しげる展を楽しまんにゃ。
美術館入口には、展覧会の大きなポップやポスターが並ぶ。
水木氏夫妻を先頭に、ゲゲゲの鬼太郎や悪魔くん,テレビくん,河童の三平など、
代表作の主要キャラクター達が楽しげに後に続く。
あの独特の擬音フォントで、「ははははは」と笑い声まで添えられている。
このイラストを見ただけで、もう間違いなく楽しい展覧会だと判る。
砂かけ婆と、子泣き爺
鬼太郎をサポートする名コンビだが、ゆえに悲惨な目に遭うことも多々。
ゲームでも大活躍する二体だ。
チケットを購入し、いざ展示場へ。
すぐに音声が聞こえてくる。
おどろおどろしい口調で何かを語っている老婆の声だ。
どうやら“座敷わらし”のことを語っているようだ。
その声の主が誰なのかすぐに判った。
水木氏に、おばけとか死後の世界などを語ってくれた、“のんのんばあ”だ。
もちろん、本人ではなく、それに扮した声優さんが語っているのだろうが、
幼少期に近所に住んでいた、のんのんばあの話に聞き入った水木少年は、
以来、そういったものに興味を持ち、妖怪へとつながり、鬼太郎を生みだすきっかけとなる。
購入した手ぬぐい
同じ価格、同じメーカー制作なのに、
先日 手塚治虫展で購入した、ピノコ語練習帳と比べると、やけに粗い・・・。
展示物でまず最初にあるのが、古びた小さな長方形の木箱。
その表面には、サインペンで雑に「国宝」と書かれた付箋が貼られてある。
この木箱の中身、実は水木氏のヘソの緒。
いや、人生展だからって、何もここから展示しなくても・・・。
しかも付箋に「国宝」って書いて貼ったのは、水木氏ご本人。
そしてそれが貼られたままの状態で大切に保管し、展覧会に出展するご遺族。
水木氏のみならず、一家全体がユニークで思わず笑ってしまう。
購入したポストカード
河童の三平の扉絵と、展覧会にも使用されているオリジナル画、水木しげるとその作品たち(Ⅱ)
まずは少年期~青年期までの絵画や資料が並ぶ。
とても小学校低学年とは思えない、自画像や人物画、風景画が並ぶ。
昆虫や架空のいきもの、西洋の人物などを描いた、幻想的な絵画も多い。
小学生の頃から抜群に絵が上手く、それを見た教師から個展開催を薦められる。
町じゅうから額縁をかき集めて個展を開き、
「天才少年画家あらわる!」の見出しで、新聞に記事が掲載されたほど。
その実際の新聞記事も展示されていた。
水木氏曰く、「よほど記事の種に困っていたのだろう。」
購入したポストカード
水木氏の格言が認められたありがたい逸品。
日本が軍国主義へと色濃く移ろう。
のんびり屋だった水木少年にも過酷な運命が迫る。
そしてとうとう召集令状が届き、徴兵されることとなる。
そのときに描いたスケッチも数点あった。
境港の漁港の街並などを画いたものだが、どれも淡い色遣い。
死を覚悟し家族や故郷との別れを悲しんでいるような、
そんな心中を露わしているかのように寂しく寒々として見える。
ぬりかべと、一反木綿
鬼太郎の名脇役コンビ、台詞は少ないが大活躍してチビッコ人気も高い。
盾になってくれるぬりかべ、鬼太郎を乗せて運ぶ一反木綿。
ぬりかべの発する言葉、「ぬりかべーっ!」は、
「ピカチュウ!」とか、「ダネダネ!」とか、言葉の代わりに名前を発するキャラの元祖ではなかろうか。
あまり知られていないが、一反木綿は鹿児島弁を喋る。
兵隊として南方ラバウルへと行き、左腕を失う。
このとき、ジャングルで数多くの不思議な体験をし、
さらに現地人との交流によって、自然の力や精霊の話に強く惹かれる。
そして終戦後、日本へ戻ってから奮闘がはじまる。
ひたすら絵の勉強をし、紙芝居画家,貸本漫画家などを経て、
40を過ぎて、ようやく少年誌で漫画家デビューを果たす。
再現されていた貧乏時代の水木夫妻の部屋。
ちゃぶ台の上にある、大量の黒くなったバナナが哀愁をそそる。
本棚の上には軍艦のプラモデルが並ぶ。
締切が終わると、夫婦でプラモデル制作を楽しんだそうで連合艦隊を揃えていたらしい。
手先の器用な布枝夫人の方が上手かったとか。
お金はなくとも悲観的にならず、こういった楽しみを忘れないところが水木家の良いところ。
この間、結婚し子どももできたものの、長く貧しい暮らしで大変だったようだ。
このときの部屋を再現しているコーナーもあった。
八百屋で激安で売られていた、腐ったバナナを買ってきては、
夫婦でそれを食べるのが楽しみだったとか。
死神
真っ黒なローブをまとい、大きなカマを手にする不気味な西洋の死神に対し、
水木氏の描く死神は、こんなにも愛嬌のある姿になる。
死神達は閻魔様から科せられたノルマ(魂を抜く)があり、
妻子を養うために、ノルマ達成に必死に働くが、鬼太郎が妨害し・・・。
“テレビくん”,“墓場の鬼太郎(後のゲゲゲの鬼太郎)”,“悪魔くん”,
“河童の三平”など、妖怪を中心とした怪奇漫画を世に送り出し、
日本に妖怪ブームを巻き起こす。
それ以外にも数多くの漫画を描いており、それらの原稿も多数展示されていた。
なかには、“総員玉砕せよ!”の原稿も。
自身の実体験をもとに、生々しく描かれた戦争体験記。
水木氏も生涯の作品のなかで、もっとも思い入れがあると述べている作品だ。
記念撮影コーナー
1コマ目に顔を入れて撮影できるようになっていた。
ラストは、妖怪研究家として国内のみならず世界中を飛び回り、
そこで見て触れて、感じた様々な妖怪画の原画が並び、
また氏がコレクションした、世界じゅうの“霊的なモノ”が真っ暗な部屋に並んでいた。
不気味な仮面や置物が一面に展示されていて、
一定時間おきに、目が光ったりアゴがカタカタ動くようなギミックもあった。
不覚にもビビってしまう。
名前忘れた・・・。
コイツなんていうんだったっけ?
妖怪大魔境でも登場するんだけどな・・・。
全10種で、あとひとつ、目玉おやじだけはゲットできなかった。
やっぱり目玉おやじが一番人気あるんだな。
水木氏と親交のあった著名人たちの追悼メッセージが並び、
水木作品の名言・迷言集のパネルがあり、
出口では、笑顔の水木氏の実寸大のポップがお見送りしてくれる。
フキダシがあり、「ではまた、あの世で。お会いできる日を楽しみにしている。」
晩年の自伝、“水木サンの幸福論”の締めの一文だ。
水木しげる氏の出身地、境港市の観光ガイドも置かれていた。
水木しげる記念館と、水木しげるロードはいつか行ってみたい。
そしてカニを堪能するのだ。
展示室を出ると、妖怪ポストが設置されていた。
脇に色鉛筆と、絵馬の形をしたメッセージカードがあった。
これに追悼メッセージを書いて、妖怪ポストに投函できる。
既に数多くのメッセージが一面に貼られていた。
いや・・・プロだろ!?って思うくらいイラストの上手いひとが居てビビる。
自分もなにか書こうと思っていたが、グッズ購入に夢中になってすっかり忘れていた。
他にも鳥取県の観光ガイドも置かれていたが・・・
福岡県立美術館での同展覧会は、12月10日で終了してしまった。
水木しげるファンのひとは近くで開催されるときは、ぜひとも観に行ってほしい。
作品のみならず、水木氏のユニークな人となり、
その生きざま・人生に、あらためて魅了されてしまうこと間違いなし。
なにやってんだよ・・・鳥取県!
カニダーって、川崎麻世じゃないよね?
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