よろず戯言

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山笠扇子

2021-09-01 08:03:15 | 日記・エッセイ・コラム

 

先々月くらいだったろうか。

いつもながら残業を終えて、従業員 最後のひとりに。

退社前に事務所へ寄って、

ひとり事務作業にいそしんでいた社長に伝達事項を伝える。

 

事務所のドアを開けると、聞こえてくるBGM。

社長は 事務所で ひとり作業しているとき、ラジカセをかけているが、

この日はなんと、中島みゆき。

自分と同年代だけど・・・渋いなあ。

音楽チョイスは自分の方が、ひと世代ほど若いようだ。

そんなことを思いつつ、社長に報告を終えて事務所を出る。

 

「待った!これ要らん?」 

呼び止められる。

デスクに雑多に積まれた書類等の山から、

なにやら白く細長い紙袋を取り出した。

少し厚みがあり、パッと見た目は 祝いの席での箸入れだ。

あの割り箸でない、洗えば菜箸として再利用できそうな丸い木の箸ね。

 

 

「なんすかこれ?」

「山笠の扇子。中止になったけど買わされたっちゃ・・・。」

白く細長い紙袋の中身は扇子。

折りたたまれた状態だが、なにやら重厚な雰囲気で、

安物ではないことがうかがえる。

 

新型コロナウイルスの影響で、

昨年に続き、今年も中止になってしまった 博多祇園山笠。

福岡市博多区で毎年7月上・中旬に開催される大規模な祭り。

安土桃山時代(原形は鎌倉時代とも)から続く伝統的な祭りで、

ユネスコの無形文化財にも登録されている。

大きな山車をふんどし(締め込み)姿の男たちが引いて市中を駆け、

速さを競う“追い山”は、祭りのクライマックスとして人気で、

全国から海外から見物客が訪れ、日本最大の集客となる。

 

同じ福岡でも、田川出身の自分は馴染みもなく知識もない。

地元田川の川渡り神幸祭にすら行ったことがないくらいで、

当然、博多祇園山笠にも興味なく、一度も行ったことのない祭り行事。

だが、博多っ子にとっては、盆・正月がくすむほどの年間最重要イベント。

 

博多区川端町出身の生粋の博多っ子の社長。

博多祇園山笠の奉納神社である櫛田神社の在る場所。

いわば山笠の中心地であり、中洲にほど近い博多の中心地出身の社長は、

幼い頃から山笠に触れており、今やその役員。

 

開催か中止か判らないうちに、この扇子や他にも提灯など、

業者に発注してしまったのだという。

というか、ギリギリまで判断に迷っていたようで、

それから業者に発注をかけたのでは間に合わない。

無駄になることも想定しての発注だったのだろう。

若しくは、五輪のように、強硬開催されることを望む参加者も居たのかもしれない。

 

ともかく、せっかく作られたのに、

日の目を見ることがなくなった扇子。

見るとデスクには、他にも数本、同じ白く細長い紙袋が転がっている。

「役員しようき買わされたっちゃ・・・。」

扇子なんてもらっても、使い道がない・・・正直要らないな・・・。

そう思っていたけれど、デスクに転がる扇子の紙袋たちを見て不憫に思い、

手渡された一本、遠慮なく頂戴することにした。

 

それから約2か月。

部屋を片付けていて、その白い細長い紙袋が転がり出てきた。

すっかり忘れていた。

あのときもらった山笠の扇子だ!

そういや、うちわみたく使えるのは暑い今だけじゃないか。

ここで、もらってから初めて紙袋からそれを取り出す。

 

 

いかにも豪傑そうな武将。

 

黒檀ってわけじゃないだろうが、黒塗りの重厚な骨。

ストッパーを外して扇を開く。

いかにも扇子らしい、香水というかお香というか、品の良い匂いが漂う。

何か戦国武将のようなイラストが出てきた。

槍を持った豪傑そうな武将。

黒田節に歌われる、酒豪で槍の達人、母里太兵衛か!?

福岡だから黒田家家臣だと思ったら、小野鎮幸と書かれてある。

黒田二十四騎にそういう人物が居たかも・・・?

よぐ知らね・・・。

 

 

名前の横には、さらに、“日本槍柱七本”,“立花四天王”とも書かれてある。

七本槍ってことか?

てことは賤ヶ岳の七本槍のひとり?

立花四天王ってことは、福岡ゆかりの武将、立花道雪の家臣?

そんなふうに思いながら、調べてみたり。

凄い武将みたいだけど、歴史に疎い自分にゃ知らない人物だった・・・。

今度きちんと勉強しよう。

 

 

小野鎮幸の左右に織田家家紋と豊臣家家紋

・・・と思ったら、櫛田神社の神紋だった。

 

小野鎮幸のイラストの両脇には、

織田家の家紋らしきものと、豊臣家の家紋らしきものも。

豊臣秀吉の九州平定のときや関ケ原の戦いのとき、

立花は豊臣に与したから、豊臣家紋は解るが、織田家紋はなんでだろう?

・・・と思ったら、これ両方とも櫛田神社の神紋らしい。

織田家と豊臣家、両方の家紋を持つとは、櫛田神社やるな。

人生において役に立たないかもしれないが、またひとつ知識が増えた。

 

裏面(こっちが表かも)には所属する流(ながれ:山笠のチーム)が書かれていた。

この流というグループ分け、九州平定で焼け野原になった博多の町を復興する際、

豊臣秀吉が決めたものが、今なお引き継がれているらしい。

秀吉の命で復興を推し進めたのは、石田三成と黒田官兵衛のふたり。

 

骨には凝ったデザインの細工もなされていて、安物ではなさそう。

 

・・・。

・・・・・。

いくらくらいするのかな?

無粋ながら、広げた扇子を眺めながら思う。

このクォリティで、まさか数百円ってことはないだろう。

千円・・・いや、1,500は行くか?

ネットで見ると、山笠扇子は2,000円台だった。

 

身内だけに配られるものならば、もうちょっと安いかもしれない。 

こんなのを数本、まとめて買わされてしまうとは、

祭りの役員なんてなるもんじゃあないな。

自分にゃ無縁だが、する必要のない心配をしてしまう。

 

そんな高いものをひょいとくれた社長に感謝・・・するわけなく。

ちゃんと残業手当、満額支給しろよと、

沸々と怒りが込み上げて来るのだった。 

 

仰ぐなら うちわで事足りるし、扇子って使い道ないなあ。

 

※どう見ても“ふんどし”なんだけど、山笠参加者たちの前じゃ、

 “締め込み”と言わないとキレられるらしい。

 彼らの前で“ふんどし”は禁句。

 



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