はぐれ雲

毎日世界のどこかや身の回りで起きることを自分のことばで書いていきます。かなり過激な場合もありますがいつも本音です。

太陽堂製パン工場

2020-10-24 22:13:08 | 日記
江東区深川で生まれ父が商売に失敗し移転してきたのは川口市である。
小2のときは満足にごはんがたべられずに朝早く、学校給食を請け負っていた
「太陽堂製パン」の工場へ10円硬貨2枚とふろしきを一枚もって買い出しに行くのだ。
朝。「5時半」になると近所の上級生のキミコちゃんが薄暗がりの長屋から
「あーいーこーちゃん」と迎えに来る。パッと起きて母から20円もらい
風呂敷をもって出て行く。
冬はオーバーコートなぞなくところどころ薄くなったカ―デイガンをはおった。一時間は
繁華街に向けて歩くだろうか。ズックは親指の部分がすり減り、そこから親指が飛び出し
霜柱が触れて血がにじんだ。でもどんな程度の子供はクラスにも何人かいたから、

太陽堂パンにつくとシャッターが6時半になったらガラガラとあきますが、ニコヨンなど
労働者、粗末な背広をきたおじさんたちが「(食パンの耳をください」と風呂敷をひろげ
そこに「バンっ」という感じひたいにで梅ぼしをはったような店員のおばあちゃんが
おく。30枚くらい。みんなパンの耳。5歳の妹をつれていったことがある。おばあちゃんは甘食を3つおまけにいれてくれた、うらやましかった。あんぱん!のときもあった。

帰りは陸橋の上で空腹に耐えられず朝焼けのなかで食パンのミミをかじった。
急ぎ足で帰って小学校のそばをとおると♪マミムメ森永~流れ雲~というコマーシャル
ソングが乾物屋のラジオから聞こえてくる。
ああ。遅刻だ遅刻やだよ~!!と残り三分の一の距離をテケテケ走る。

ぐずりなきしながらランドセルをせおい小学校へとかけだす。

3時ごろ帰ると母が七輪の魚焼きの上でパンの耳を焼き、箸で(!)魚油マーガリンを
がりがりとこすりつけるように塗ったのを食べさせてくれるのですがまずかった。
魚の油のにおいがいやだった。どんなにお腹が空いてもまずいものはまずいのだと
この時しった。外へ出るとネギ坊主が畑の中で寒そうにゆれていた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿