山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

山を彫る(3)縞枯山荘

2024-10-13 12:04:54 | 山を彫る

 北八へ行くなら高見石に限るという思い込みがあった。山の師匠のひとり、Mさんに連れられて冬の北八へ入って以来、ここの雰囲気が気に入り度々訪れた。単独だったり、二人だったり、夏には息子と行ったこともある。雰囲気が良いこともさることながら、アプローチが短い点が良かった。バスの終点渋ノ湯から1時間40分で高見石小屋に届く。賽の河原で吹かれたこともあるが、細竹に巻かれた赤布を頼りに行けば、なんとか小屋にたどり着く。ずーっと、そう思い込んでいたのだが、'00年頃から状況が変わった。バスをチャーターすれば、八ヶ岳や北八の一部は、日帰りが可能で魅力あるコースが沢山あることが判ってきて、SHCの目的地として採り上げられるようになった。'00年編笠山、'02年麦草峠周辺、間を縫ってグループ山行も多くある。そして集大成は'03/8集中山行となる。
 このように八ヶ岳が踏まれてくると、当然情報も集まってくる。'05/1の北八グループ山行は縞枯山荘~北横岳~茶臼岳であった。冬山初心者も混じった13人の大部隊だったが案ずることはない。横岳ピタラスロープウェイを利用したからだ。僅か10分で標高2,233mの山上駅に着く。当日は風が強く、我々が乗ったゴンドラをもって運転中止になったことは、降りてから知った。装備を整えて出発。僅か15分で今日の宿泊小屋「縞枯山荘」に着いた。受付を済ませ、今夜の寝る場所を確かめてから、仕度をし直して出発した。目指すは北横岳。坪庭を通過すると急登になるが、樹林帯の中をジグザグに道が切られているので、比較的登り易い。北横岳ヒュッテを過ぎてからが本格的な上りになる。我々の班は若干遅れたが全員無事登頂。強風と視界不良で山頂には長居はできず、記念写真を撮っただけで、もと来た道を引き返した。それでも一応成し遂げた感を抱いて山荘に戻ったところを絵にした。ちょうどA夫妻が入口に差し掛かったところを写真に収めたので、原画の中にもしっかり入れた。一般的に冬景色を彫る時は悩むことが少ない。色彩が乏しいから。雪は白で済み、陰は黒、これに青と灰色の版を用意すれば大概の冬景色は描ける。悦ちゃんのザックは、後で紅をさした。
 白状してしまえば、この画にはお手本がある。縞枯山荘の談話室の壁に、おそらくプロの仕業と睨んでいるが、山荘を昼と夜の姿に彫ったものが掲げられている。非売品と言うことだったので、やむなく池田版を起こしたというのが真相。その作品には比べようもないが、私の中で縞枯山荘が高見石小屋同様、身近な存在になったのは確かである。この図柄は自分でも気に入って、翌年の賀状にしたので、手にされた方も多いと思う。
 この絵には、後日談がある。'06年、渋ノ湯~青苔荘~縞枯山のとき、自作の額に入れてこの画を持参した。F6号とはいえ、余白を取って額装すれば横60cm、縦50cmとなり、運搬が難しい。背負子[しょいこ]にミレーのザックと共に括りつけ持って行った。小屋番は直ぐ最寄りの柱に、もたれかけて置いてくれたが、その後どうなっていることやら。'08/8北八合宿の時、一休みしながら画の存在を確かめたかったのだが、雨の中の歩行となり、私を含め皆ロープウェイ駅に急いで向かっていたため果たせなかった。次に訪れることが待ち遠しいし、楽しみである。

(2009年8月、IK記)

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2005年1月の縞枯山荘

しらびその森を行くIK氏

【2024年10月記】

それまで冬は、安倍奥や高遠の少年自然の家を使ってXCスキーなどで遊んでいたが、2000年の正月から北八ツに通うようになった。殊に冬季には山小屋でまったりと飲み交わす時間が嬉しく、営業している小屋が多くアクセスも容易な北八ツは有り難かった。この時も宿泊は縞枯山荘でIK氏も一緒だった。版画となった2005年の山行は14名の大パーティーで、これが会の冬季合宿のきっかけとなったものだ。
IK氏が気にされていたその後の画の存在であるが、2012年1月、久しぶりに縞枯山荘に泊り、お手本となった2枚の「プロの画」と並んで小屋の談話室の壁に掲げられてあるのをIK氏と共にしっかりと確認した。

小屋に掲げられたIK氏の画(左)


山を彫る(2)仙丈ヶ岳

2024-10-11 11:05:55 | 山を彫る

 「よねの小屋」っていうのがあるんだけど、ご存知ですかねぇ。色々な局面でお世話になっている米沢正信さんがセルフビルドした小屋です。請われて、この小屋に仙丈ヶ岳の画を寄贈した。今回は「仙丈ヶ岳」について書いてみようと思う。
 '03年ゴールデンウィークの仙丈ヶ岳登山は、忘れられない山行です。初めての仙丈は、やさしく迎えてくれた。標高が高いし、5月とは言え積雪がかなりあることが予想されたので、とても不安であった。幸いアタック当日は、これ以上は望めない好天になり快適な登りが始まった。しかし3合目からの上りは、半端ではない。アイゼンは着けなかったので足元は軽いはずだが、きつい登りに皆押し黙って歩を進めた。それだけに、大滝の頭に達した時の開放感は格別である。そこは森林限界でもあり、南アルプス北部の主要な峰は丸見えだ。一転、気持ちの良い上りになった。
 北岳と甲斐駒ヶ岳に背中を押されて、小仙丈に到着。ここからの仙丈ヶ岳の眺めは素晴らしい。小仙丈沢カールをせいせいと前に広げ、小仙丈から続く稜線の頂点に、その峰はある。南アルプスの貴婦人と言う呼称がまさにピッタリである。頂上からの展望も素晴らしく、眼がウルウルしてきたほどだったが、仙丈ヶ岳を眺めると言う点では、小仙丈からのそれの方が格段に優れていると思う。ここからの展望を画にした。
 画用紙上にカールを表現するのは、なかなか難しい。稜線、または岩の枝稜と枝稜の間の沢から下に向けて線を入れて、その線に沿って削っていった。最初この画は黒の1版だけだった。一枚だけ残っている画で見るとカールの部分がいかにも重いが、ある程度表現できているような気がする。
 一旦作品展に出品して、少し時間を置いた。この画を元に多色摺りにする気持ちが持ち上がってくるのを待ち、今度は薄い紙に数枚摺った。それを板に裏貼りして色版にする。多色摺りの時は、それぞれの版の位置がずれないように見当[けんとう]を付け加える作業が加わる。色を重ねると、予想外の深みが出ることが多いので、限られた版の色をどの部分で重ねるか、作戦を練ることは面白いし、また効果を期待して掘り進めて行くことも楽しい。青とねずみ色の版を加えただけなのに、出来上がりは黒一色のものより数段見易くなったように思える。カールには青の線が加わったので、黒の線と共に試し摺りをしながら、かなり削ったつもりだったが、今見直してみるとまだまだ重い感じが残る。
 この画は、10周年記念誌の表紙に採用していただいた。このシリーズ第1弾であった「八ヶ岳連峰」とどちらにするか比較検討されたが、結果的にこちらになったことは、納得できる。余談ですが、手前の小石のところに、カタカナで名前を嵌め込みしてあります。お遊びで探してみてください。

(2009年6月、IK記)

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版画の元となった2003年5月の仙丈ヶ岳

【2024年10月記】

前の「八ヶ岳連峰」と同様に、私はこの2003年5月の「仙丈ヶ岳」にも同行している。この頃はGWとなると毎年、南アルプスに通いつめていたが、伊那側から北沢峠に入山するのは初めてのことで、中央道の渋滞に嵌まり仙流荘からの村営バスの発車時刻に気を揉んだことを覚えている。メンバーはIKさんに、やはり山の大先輩で良い相棒となってくれていたAオヤジ夫妻、会の現代表のIN、女性のKS、YFで、Aオヤジ夫妻とIN、私の4人は長衛小屋前にテン泊、IKさん他2人は北沢長衛荘(現・北沢峠こもれび山荘)を宿とした。この頃の泊りの山行の楽しみは何といっても入山祝い、登頂祝いの一杯(では済むはずもないのだが)、長衛荘組が雪道の中を片道15分程もかけてテントを訪れてくれて大いに盛り上がった。
翌日は6時に出発、北沢峠から小仙丈尾根をピストンした。ピーカンの空の下、難儀した覚えもないが、記録をみると往復10時間程を要していた。もっともそれは、あまりの景観の素晴しさに山頂に小一時間ほども滞在したせいでもあった。山頂には山スキーヤーもいて、我々の声援を受けながら薮沢カールに向かって滑り下り、瞬く間に米粒のようになって消えていった。
IK氏のこの画は、何といってもカールが良い。南アルプスの女王様が純白のドレスの裾を翻して踊っているようだ。


山を彫る(1)八ヶ岳連峰

2024-10-09 11:16:31 | 山を彫る

 この画は事務局の玄関に掲げてくれてあるので、T宅を訪問された方は目にされていると思う。’04/3グループで蓼科山に登った。好天に恵まれ女神茶屋からの上りは胸が躍る。ひと登りして落葉松の林を抜けるとブァーっと視界が開ける。八ヶ岳が堂々と連なり底抜けに明るい。慌ててシャッターを押した。頂上を極め、同じ道を戻ったので、朝の地点で休憩をとった時を利用して、午後の八ヶ岳も収めておいた。ここからの写真数枚を元に原画を起こした。
 高い山はより高く、誇張して描くように教えられているので、自分として許せる範囲で赤岳を盛り上げた。問題は前景である。その場所にもモミだったか落葉松だったか針葉樹があり、それを手前に置けば安定するかもしれないと思えたが、この構図は以前試しているので止めた(この画については、後日描く)。ふと、以前そば屋のトイレでみた陶板画を思い出した。まさに八ヶ岳を描いたものだったが、簡単な線だけで描かれていて前景はほとんどない。これを借用した。前景を省略したことにより、悠然と広がる裾野の上に、ごつごつした峰が浮き出ている様子が表現できたように思う。画面を思いっきり横長にしたことも、広がりを持たせる上で効果があった。
 と、ここまで書いて、前述の陶板画が気になってきた。今でもあのそば屋に、あの画はあるか? 気にしだすと確かめたくなる気質も相変わらずな私は行ってきました。そこは西焼津駅近くの「門前」です。残念ながらお目当ての画は無く、代わりに“いわさきちひろ”の画がかかっていました。藤枝の「八兵衛」で修行した亭主と聞いているので味は保証します。おそば好きで詮索好きな貴方、名作(迷作)の裏のエピソードを訪ねて、おそばを食べに行ってみてはいかが。

(2009年4月、IK記)

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山の大先輩であるIK氏は多趣味で版画も長く彫っていた。だいぶ以前、所属会の会報に『山を彫る』と題して連載したものを転載する。
この「八ヶ岳連峰」の基になった2004年3月の蓼科山には、私も同行していて、こんな感想を書いた。

 春山の魅力の一つに、生命の目覚めへの喜びということがあると思う。特にまだ雪の残る山を目指すと、里や麓の彩りとの差が、却ってそれを感じさせてくれるようでもある。今回も52号線沿いでは桜が目を楽しませてくれ、一方、登山口の女神湖周辺はまだ一面の雪世界であった。YHでの夕食後、何がきっかけか季節の山を表現する言葉の話になった。春はどうも「笑う」じゃないのか。俳句の季語には日本人の自然観、愛着を集落した部分がある。「山笑う」という言葉は、春の喜びに満ちた自然観をよく表現していると思う。帰途の車中で、芽吹き始めた山麓の林を指差しながらIKさんが「ほら、笑っているじゃない」とうれしそうに話した。