木の中に、もし物語を見るのならば、それは植物らしい物語のはずである。地上に生きる一切のものと同様に、宿命的にそれぞれの場所に根を張っているが、通りすぎて行くものとして私が見る時には、見られるものらしく、あるものは申し分なく気取り、気取りそこねてうなだれるものもあり、またあるものは争いのあとを隠し切れずにいる。
彼らの生命の長短は別にして、彼らには、私たち人間に隠されている時間があるに違いない。その時間の、あまり窮屈でない区切りのなかで、木は物語を自分で創り出している。その物語をまちがいなく見抜くことは困難であるが、時にはなまめかしい仕種のあとさえ残っているのを見かけることもある。
(串田孫一「山の博物手帖」より)
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