2022年5月29日(日)
今日は日豊本線苅田(かんだ)駅(福岡県京都郡苅田町)。

苅田町は、無法松ツーデーマーチが開催される北九州市と行橋~別府100キロウォークのスタート会場の行橋市の間に位置している。
日産自動車の工場がある。

(苅田駅の待合室にあった地図)
苅田駅のウォーキングには初めて参加。
駅の西口へ出て歩き始める。

左折して右手に井ノ口池。


すぐに、宇原神社。

境内の池ではカメが日向ぼっこ。こんなに暑いのに。

神社前の田んぼでは田植えが終わっていた。
この田は神社と関係あるのだろうか。

東九州自動車道の下をくぐり、殿川ダムへと上って行く。
ダムの堤。

ダム湖へ出てダム湖沿いを歩いて行く。

石仏がずらりと並んでいるところを歩いて行く。

天台宗の相円寺への上り口に着いた。
石の階段がある。
何段くらいあるのか予備知識なし。

最初の頃はまだ余裕があって写真も撮った。

石段がだんだんと険しくなっていく。
不規則な石段を、もう着くだろうもう着くだろうと上るがまだまだある。
上り下りのウォーカーで交通渋滞も起こる。
なんとかここまで来た。

もう少し石段を上らねばならないようで。
ようやく、本堂に着いた。

下りが怖い。
石段の幅が狭いところもいっぱいある。
足を滑らさないか、用心用心しながら下る。
下り終えてホッとして石段を見上げる。
ダム湖に沿って来た道を戻って、次へと向かう。

ダム湖の堤から苅田の町を見下ろす。
煙突は火力発電所か?



ダム湖の横にある四季の広場は地元の人たちによって管理されているようだ。



今はアジサイの時期。





ダムを下って行く。
蜂の巣箱で舞っているのは蜂かな?

東九州自動車道をくぐって、一直線に歩いて行く。

郵便局から左折。
すぐに、石塚山古墳の標識が。

浮殿神社への階段がある。

拝殿。

裏へ回ってみる。
前方後円墳の後円部分にあたる雰囲気がある。


ここが後円部のようだ。
そうすると拝殿があったところは前方部かな。

階段を下ってすぐのところに古墳の説明板があった。
この後に訪れた歴史資料館むにあった説明書によると古墳の築造年代は出土した遺物などから3世紀末から4世紀初頭と考えられる。
規模は全長130メートル、後円部は80メートルを測り、前方部が2段、後円部が3段築造とある。
3世紀後半から4世紀前半は前方後円墳が造られ始めたころで、初期の頃の前方後円墳として有名な奈良県桜井市のある箸墓古墳のすぐあとぐらいだろうか。
その頃の古墳としては九州最大規模という。
九州の苅田町にこれだけ大きな古墳を造るだけの勢力を持った人物がいたということだ。
江戸時代に埋葬物が出土している。
海を渡って来た銅鏡(三角縁神獣鏡)7面などは国の重要文化財に指定され、最初に訪れた宇原神社に保管されているという。
宇原神社は古墳の近くにあって、後に現在地へ移転したらしい。

古墳を後にする。
暑い中を歩いてきた。
木陰の中は気持ちいい。


古墳のすぐ横にある苅田町歴史資料館へ。
熊本でも出土している縄文時代後期の鐘ヶ崎式土器、西平式土器などが展示してあって興味深かった。

ゴールの苅田駅東口へ。

ゴール受付終了後、西小倉駅へ。
リバーウォーク北九州の中にあるZENRIN MUSEUMへ。地図の博物館。
16世紀から20世紀の西洋製・日本製の地図の変遷を楽しむことができる。
鉄道開業150周年企画展として鉄道網から読み解く近代日本が開催されていた。

お昼の御馳走もゴール後のビールも無かったけど、いろいろと学んだ。
満足感一杯でソニック、新幹線と乗り継ぎ帰路。
今日のウォーキングを終える。
今日は日豊本線苅田(かんだ)駅(福岡県京都郡苅田町)。

苅田町は、無法松ツーデーマーチが開催される北九州市と行橋~別府100キロウォークのスタート会場の行橋市の間に位置している。
日産自動車の工場がある。

(苅田駅の待合室にあった地図)
苅田駅のウォーキングには初めて参加。
駅の西口へ出て歩き始める。

左折して右手に井ノ口池。


すぐに、宇原神社。

境内の池ではカメが日向ぼっこ。こんなに暑いのに。

神社前の田んぼでは田植えが終わっていた。
この田は神社と関係あるのだろうか。

東九州自動車道の下をくぐり、殿川ダムへと上って行く。
ダムの堤。

ダム湖へ出てダム湖沿いを歩いて行く。

石仏がずらりと並んでいるところを歩いて行く。

天台宗の相円寺への上り口に着いた。
石の階段がある。
何段くらいあるのか予備知識なし。

最初の頃はまだ余裕があって写真も撮った。

石段がだんだんと険しくなっていく。
不規則な石段を、もう着くだろうもう着くだろうと上るがまだまだある。
上り下りのウォーカーで交通渋滞も起こる。
なんとかここまで来た。

もう少し石段を上らねばならないようで。
ようやく、本堂に着いた。

下りが怖い。
石段の幅が狭いところもいっぱいある。
足を滑らさないか、用心用心しながら下る。
下り終えてホッとして石段を見上げる。
ダム湖に沿って来た道を戻って、次へと向かう。

ダム湖の堤から苅田の町を見下ろす。
煙突は火力発電所か?



ダム湖の横にある四季の広場は地元の人たちによって管理されているようだ。



今はアジサイの時期。





ダムを下って行く。
蜂の巣箱で舞っているのは蜂かな?

東九州自動車道をくぐって、一直線に歩いて行く。

郵便局から左折。
すぐに、石塚山古墳の標識が。

浮殿神社への階段がある。

拝殿。

裏へ回ってみる。
前方後円墳の後円部分にあたる雰囲気がある。


ここが後円部のようだ。
そうすると拝殿があったところは前方部かな。

階段を下ってすぐのところに古墳の説明板があった。
この後に訪れた歴史資料館むにあった説明書によると古墳の築造年代は出土した遺物などから3世紀末から4世紀初頭と考えられる。
規模は全長130メートル、後円部は80メートルを測り、前方部が2段、後円部が3段築造とある。
3世紀後半から4世紀前半は前方後円墳が造られ始めたころで、初期の頃の前方後円墳として有名な奈良県桜井市のある箸墓古墳のすぐあとぐらいだろうか。
その頃の古墳としては九州最大規模という。
九州の苅田町にこれだけ大きな古墳を造るだけの勢力を持った人物がいたということだ。
江戸時代に埋葬物が出土している。
海を渡って来た銅鏡(三角縁神獣鏡)7面などは国の重要文化財に指定され、最初に訪れた宇原神社に保管されているという。
宇原神社は古墳の近くにあって、後に現在地へ移転したらしい。

古墳を後にする。
暑い中を歩いてきた。
木陰の中は気持ちいい。


古墳のすぐ横にある苅田町歴史資料館へ。
熊本でも出土している縄文時代後期の鐘ヶ崎式土器、西平式土器などが展示してあって興味深かった。

ゴールの苅田駅東口へ。

ゴール受付終了後、西小倉駅へ。
リバーウォーク北九州の中にあるZENRIN MUSEUMへ。地図の博物館。
16世紀から20世紀の西洋製・日本製の地図の変遷を楽しむことができる。
鉄道開業150周年企画展として鉄道網から読み解く近代日本が開催されていた。

お昼の御馳走もゴール後のビールも無かったけど、いろいろと学んだ。
満足感一杯でソニック、新幹線と乗り継ぎ帰路。
今日のウォーキングを終える。
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