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映画と渓流釣り

市子は月子としては生きられない


題材は昨年の傑作「ある男」に似ている
ただ市子は自らの意思で戸籍を持たなかったわけでは無い
その理由は劇中に段々分かるようになるから、この手のお話に興味があるならば鑑賞された方がいい

幸せなのかは一概に言えないかもしれないけど、わたくしは人生どん底を生きてきた人に会った事がない
子供の頃、川や山で命を落とした幼馴染もいるし、若くして癌に苦しみ他界した友もいるけど、所謂生地獄みたいな生き方をしている知り合いはいない

我々世代は総中流社会とかに括られて、給食を食べられない子はいなかったけれど、お手伝いさんが何人もいるような豪邸に住んでる奴もいなかった。正確にはいなかった分けじゃなく、数が少なかったことと生活環境の区別が鮮明だったことで交わりがあまり無かっただけかもしれないけど

バブル期以降の日本は、嫌な言い方になるが勝ち組と負け組に対局されつつあるし、生活環境の線引きが曖昧で表面は誰も皆んな大差なく見えて、一皮剥くと貧富・教養・価値観そのどれもが同じ日本人とは思えないほど違っている
市子が市子として生きられなかった悲劇の一端がここにある



冒頭に記したように戸籍を持てなかったのは市子の意思とは無関係で、全て親の責任において糾弾されるべきことなんだけど、不幸の連鎖はこのように始まっていくのだというような典型例として語られる
わたくしも以前の職場で、夫のDVから子供と逃げてきたという関西出身の女性と働いていた事がある。逃げおおせるのは結構難しいことなんだと言っていたけど、子育てしながら流浪する心細さは想像するしかない

市子に戸籍を与えなかった母親を中村ゆりがエキセントリックに演じていて、最初に感じていた嫌悪感だらけのだらしない母親像が連絡船を見送る姿の頃には同情に変わっていく様が心痛い
そろそろこの女優にも優れた演技者を表彰する賞を与えてはどうか


進行性の難病を抱えた妹の生命維持装置を冷めた目で取り外す、杉咲花演じる市子の瞳には何の色も映っていなかった。存外、究極に行き着いた先にある景色には色即是空の真理があるのだろうか?
疲れ果てた仕事帰りの母親がその顛末を見て、市子にボソッと礼を言うシーンはなんだか安堵感さえ感じる

こうして幼かった市子は妹の戸籍を覆い、月子として大人になっていく

お祭りの屋台で偶然出会った青年と同棲し安定した暮らしを手に入れたのに、愛する人からのプロポーズを受け入れるのは自らの出自と向き合わなければならないという皮肉(ここにも日本の戸籍制度に対する是非を感じる)
哀しいけど、彼女に残された選択は姿を消す事だけだ

それが月子として生きていけなかった市子の、そしてこれからも市子として生きていこうと決めた、たった一つの矜持なんだと思う


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