銀の記憶

着物、猫、本、楽器、片付け、料理、京都、旅、神社仏閣、ハンクラ…

値上げ。

2024-10-06 16:31:00 | 日記


今日の金沢、26℃→19℃。
晴れのち曇り。
朝晩はヒンヤリ。
そろそろ灯油を買っておこうか〜と、ポリタンクをカーポートの物置きから引っ張り出した。


スーパーへ買い物へ行くと、あらあら、なんだか色々とお高め。
50円づつくらい値上がりしてる感覚。
しょうがないよね。
自分じゃ農業も漁業も製造もやらず、全てひと様にお任せなのだから。
その対価だもの。

かくなる上は節約あるのみ😆
物を無駄にしない。
使いすぎない。
食べすぎない。

ふとね…昔のことを思い出したの。
たまりんの子供の頃、さすがにお腹を空かせた記憶は無いが。
いつでも好きな時に、好きなものを食べられたわけでもない。

ケーキやトンカツやお寿司(チラシや巻き寿司ね。握りは大人のものだった)は特別な日のごっつぉ(ご馳走)だった。
フルーツは村の雑貨屋で買えるのは蜜柑ぐらい。西瓜と瓜は自分ちの畑のもの。
林檎すら特別なものだった。


父が大工の棟梁だったので、棟上げの日のお呼ばれから持ち帰ったお土産がバナナだったり。
たまりんは特に好きでは無かったが…庭で熟した柿のほうが美味しかったし😆
ほら、バナナだぞ!って父が得意げにくれるものだから、空気を読んで、わぁ〜バナナだ!!って喜んで見せるほどには可愛げがあった(笑)

町の食堂で外食などしたのは、中学生になってから。
隣町へ電車通学するころにやっと。
それまで外食と言えば、お祭りや親戚の祝い事のお呼ばれのみ。

あ、マクドナルドを食べたのは高校卒業して、能登を出て就職してからだったわね🤭
ミスドは金沢へ遊びに行った友達が、お土産に買って来てくれたりして、もっと前に食べてだけど。
ハンバーガーはほら、時間が経つと美味しくないから。
昭和30年後半〜50年代の奥能登半島のハナシね😅

そんな頃だったかな。
肥満児なんて言葉が出だしたのは。
それまで太ったひとなんて、そんなにいなかった。

今は食べ過ぎなんだと思う。
カロリーを取りすぎている。
その割には栄養が取れてない。

昔の日本人は外国人に比べて小柄だったけど、筋肉質で体力があり丈夫だったと思う。
昔ながらの魚と野菜中心の食事のおかげね。

それを思い出しながらご飯を作れば、そんなに食材も要らないし、お金も掛からない…んじゃないかなぁ〜と思う。

ネットのどこかで
『うちは全く魚を食べないので』と断言されてるご家庭を覗き見てしまって驚いたよ。
海洋国日本で、それはなんてモッタイナイことかと。

とは言え、近年の、魚介類の獲れ高かと、魚達の貧相さと言ったら
秋刀魚が…これイワシ?
イカもこれは子イカだよね?くらい小さい😂

それでも、今さら舟を出して釣りをして魚を賄えるわけもなく。
スーパーの魚売り場で、仲買人よろしく魚を吟味する今日この頃。






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