嵐の少女_“文学少女”と飢え渇く幽霊_八章 野村美月 ファミ通文庫
・嵐が丘の評価p266~
「わたしは、この世のありとあらゆる物語の読み手にすぎない。略
十九世紀のイギリスの寒村に暮らす、孤独で人嫌いな牧師の娘が、資料もほとんどなく、経験もなく、その卓越した想像力だけで、生涯にただ一冊だけ、世界に向けて送り出した小説をーーこの奇蹟のような飢えと、復讐と、愛憎の物語を、蛍ちゃんは読んだことがある?
この本が出版されたとき、批評家はこぞって、不道徳だとか、荒っぽいとか、文章がなっていないとか、構成が破綻していてわけがわからないとか、俗悪だとか、『嵐が丘』ではなく『破滅の丘』と名づけるべきだとか、さんざんこきおろしたわ。
読者も、登場人物の暴力的なまでの情熱に眉をひそめ、本はまったく売れなかった」
略
「わたしは、この本を読めば読むほど、おなかがすくの。心がからからに飢え渇いて、喉がどうしようもなく締めつけられて、狂おしいほどの飢餓感に頭が熱くなって、息が苦しくなるの。略
なのに、いつかそんな荒々しい物語がーー閉ざされた世界で生きる欠点だらけの人たちがーー嘘のないまっすぐな魂がーー胸が張り裂けそうなほど愛おしくなってゆくの。
こんな風に、むき出しの心をぶつけあって、極限まで求め合い、奪い合うような愛があってもいいんじゃないかって、ここまで愛し愛される相手がいるなら、他の人間なんて必要ないんじゃないか、そんな相手と出会えたら、もうそれ以上の幸福なんてないんじゃないかって思えてしまうのよ。
この本は、そういう物語なの。
略
技術だけでは決して書けない。作者のエミリーの魂で書かれた物語だわ。だからこそ百年以上もの間、読み継がれてきたの」
・親子三人の像、育ててくれた父への愛
「略、でも……わたしは別の物語の登場人物になって、あなたの娘として出会う夢を、見たこともあったんだよ……。あなたがいて、お母さんがいて、平凡で幸せな家庭で暮らしたいって願ったことも……そうしたら、誰も不幸にはならなかったのにって……略」p291
エピローグ そして、ぼくらは……p293
蛍の中学美術部の先輩後輩(で友人)関係にある麻貴についても語られている(シリーズの2冊目として妥当な線)。一族に縛られている辺りは本巻とダブル。
といっても、はじめから交流があったわけではなく、たまたま、取り巻きもいない日、楽しそうに少年をスケッチブックに描いている姿に見惚れたのが切っ掛け。といってもやりとりなし。後日、彼女の後見人がスケッチブックのその人であることも分かり、彼女に確認、男についても祖父の部下に調べてもらい、嵐ヶ丘みたいだと思う。
痩せ細り、貧血を繰り返す彼女を見かねて検査を勧め、病院が彼に連絡をした辺りから接触の頻度を増やし、登場人物に、二人の物語を作り上げる気持ちなる。しかし、ヒロインは暴走し、ヒーローも思うように動いてくれず、遠子が絡み、蛍と流人がつきあっていて、後輩も登場して、物語の制御は覚束ずに。しかし、文学少女は天晴れなことに「お父さん……」という言葉を引き出してくれた(棺に立派な赤茶色の表紙がついた日記帳を入れる麻貴)。
林檎園、花ブランコ、全自動洗濯機(三題噺)
後:エピローグ
甘酸っぱい香りあふれる林檎園の真ん中で彼と彼女は全自動洗濯機にシャツやスカートを放り込んでゆく。ごとごと揺れる洗濯機の傍らで二人は花ブランコで遊ぶ。彼か彼女の背中を押し、真っ青な空に高く高く舞い上がった彼女は彼の元に戻ってくる。何度も繰り返し。
「林檎をレモンと蜂蜜とワインで煮込んで、冷たく冷した、コンポートみたい……とっても甘くて、美味しいわ」
前:一章 食べ物を粗末にしてはいけません
全自動洗濯機に飛び込んで、あの世の果ての林檎園へ辿り着いた男の子が花ブランコを漕ぐたびに人間の顔をした林檎の実が悲鳴をあげてぽたぽた落ちる。
「爽やかなクリームを添えたアップルパイだと思って美味しくいただいていたら、林檎の代わりに、真っ赤に煮込んだ坦々麺が詰め込んであって、シナモンパウダーの代わりに七味唐辛子が振りかけてあったみたいな味~~~~~」
(直後は辛い、舌がちぎれそう、目から火を噴きそう、鼻から水が垂れそうなほど辛いと訴えられ、見た目は小公子セドリックでも小公女セーラのミンチン先生みたいとも言われている。)
あとがき 2006.7.24
難産で、途中で他の話に変えたいと担当者に泣きついたりした末の完成。嵐が丘は子供の頃から大っ好きな作品で(子供の頃の空想遊びとか、姉シャーロットとの関係とか、三姉妹の詩集とか)作者についてはもっと掘り下げたかった。
東海テレビ制作昼ドラの「別れた妻」(1985.1.7 - 1985.3.27)って、原作が嵐が丘じゃなかったっけ?(記憶違いでしたら、ごめんなさい。)
同時間帯で話題になった、
「愛の嵐」 - 1986年6月 - 10月放送の東海テレビ放送製作の昼ドラマ。昭和の戦前戦後の日本が舞台。田中美佐子、渡辺裕之、長塚京三主演。後に『華の嵐』(1988年)、『夏の嵐』(1989年)と続く『嵐シリーズ』の第1作。 華の嵐は風と共に去りぬ」をモチーフ。
※しのぶ(1985.4.1 - 1985.6.28)
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”文学少女”と飢え渇く幽霊 (ファミ通文庫) | |
野村美月 | |
エンターブレイン |
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「わたしは、この世のありとあらゆる物語の読み手にすぎない。略
十九世紀のイギリスの寒村に暮らす、孤独で人嫌いな牧師の娘が、資料もほとんどなく、経験もなく、その卓越した想像力だけで、生涯にただ一冊だけ、世界に向けて送り出した小説をーーこの奇蹟のような飢えと、復讐と、愛憎の物語を、蛍ちゃんは読んだことがある?
この本が出版されたとき、批評家はこぞって、不道徳だとか、荒っぽいとか、文章がなっていないとか、構成が破綻していてわけがわからないとか、俗悪だとか、『嵐が丘』ではなく『破滅の丘』と名づけるべきだとか、さんざんこきおろしたわ。
読者も、登場人物の暴力的なまでの情熱に眉をひそめ、本はまったく売れなかった」
略
「わたしは、この本を読めば読むほど、おなかがすくの。心がからからに飢え渇いて、喉がどうしようもなく締めつけられて、狂おしいほどの飢餓感に頭が熱くなって、息が苦しくなるの。略
なのに、いつかそんな荒々しい物語がーー閉ざされた世界で生きる欠点だらけの人たちがーー嘘のないまっすぐな魂がーー胸が張り裂けそうなほど愛おしくなってゆくの。
こんな風に、むき出しの心をぶつけあって、極限まで求め合い、奪い合うような愛があってもいいんじゃないかって、ここまで愛し愛される相手がいるなら、他の人間なんて必要ないんじゃないか、そんな相手と出会えたら、もうそれ以上の幸福なんてないんじゃないかって思えてしまうのよ。
この本は、そういう物語なの。
略
技術だけでは決して書けない。作者のエミリーの魂で書かれた物語だわ。だからこそ百年以上もの間、読み継がれてきたの」
・親子三人の像、育ててくれた父への愛
「略、でも……わたしは別の物語の登場人物になって、あなたの娘として出会う夢を、見たこともあったんだよ……。あなたがいて、お母さんがいて、平凡で幸せな家庭で暮らしたいって願ったことも……そうしたら、誰も不幸にはならなかったのにって……略」p291
エピローグ そして、ぼくらは……p293
蛍の中学美術部の先輩後輩(で友人)関係にある麻貴についても語られている(シリーズの2冊目として妥当な線)。一族に縛られている辺りは本巻とダブル。
といっても、はじめから交流があったわけではなく、たまたま、取り巻きもいない日、楽しそうに少年をスケッチブックに描いている姿に見惚れたのが切っ掛け。といってもやりとりなし。後日、彼女の後見人がスケッチブックのその人であることも分かり、彼女に確認、男についても祖父の部下に調べてもらい、嵐ヶ丘みたいだと思う。
痩せ細り、貧血を繰り返す彼女を見かねて検査を勧め、病院が彼に連絡をした辺りから接触の頻度を増やし、登場人物に、二人の物語を作り上げる気持ちなる。しかし、ヒロインは暴走し、ヒーローも思うように動いてくれず、遠子が絡み、蛍と流人がつきあっていて、後輩も登場して、物語の制御は覚束ずに。しかし、文学少女は天晴れなことに「お父さん……」という言葉を引き出してくれた(棺に立派な赤茶色の表紙がついた日記帳を入れる麻貴)。
林檎園、花ブランコ、全自動洗濯機(三題噺)
後:エピローグ
甘酸っぱい香りあふれる林檎園の真ん中で彼と彼女は全自動洗濯機にシャツやスカートを放り込んでゆく。ごとごと揺れる洗濯機の傍らで二人は花ブランコで遊ぶ。彼か彼女の背中を押し、真っ青な空に高く高く舞い上がった彼女は彼の元に戻ってくる。何度も繰り返し。
「林檎をレモンと蜂蜜とワインで煮込んで、冷たく冷した、コンポートみたい……とっても甘くて、美味しいわ」
前:一章 食べ物を粗末にしてはいけません
全自動洗濯機に飛び込んで、あの世の果ての林檎園へ辿り着いた男の子が花ブランコを漕ぐたびに人間の顔をした林檎の実が悲鳴をあげてぽたぽた落ちる。
「爽やかなクリームを添えたアップルパイだと思って美味しくいただいていたら、林檎の代わりに、真っ赤に煮込んだ坦々麺が詰め込んであって、シナモンパウダーの代わりに七味唐辛子が振りかけてあったみたいな味~~~~~」
(直後は辛い、舌がちぎれそう、目から火を噴きそう、鼻から水が垂れそうなほど辛いと訴えられ、見た目は小公子セドリックでも小公女セーラのミンチン先生みたいとも言われている。)
あとがき 2006.7.24
難産で、途中で他の話に変えたいと担当者に泣きついたりした末の完成。嵐が丘は子供の頃から大っ好きな作品で(子供の頃の空想遊びとか、姉シャーロットとの関係とか、三姉妹の詩集とか)作者についてはもっと掘り下げたかった。
東海テレビ制作昼ドラの「別れた妻」(1985.1.7 - 1985.3.27)って、原作が嵐が丘じゃなかったっけ?(記憶違いでしたら、ごめんなさい。)
同時間帯で話題になった、
「愛の嵐」 - 1986年6月 - 10月放送の東海テレビ放送製作の昼ドラマ。昭和の戦前戦後の日本が舞台。田中美佐子、渡辺裕之、長塚京三主演。後に『華の嵐』(1988年)、『夏の嵐』(1989年)と続く『嵐シリーズ』の第1作。 華の嵐は風と共に去りぬ」をモチーフ。
※しのぶ(1985.4.1 - 1985.6.28)
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