鑑賞日時:7/20(土)17:15~
鑑賞映画館:k2cinema
不穏なメロディとともに木立を真下から仰ぎ見ながら移動していく長めのショットから始まる『悪は存在しない』。いくつか印象に残った不思議な場面がある。たとえば巧(大美賀均)が娘の花(西川玲)を車で迎えに来て保育園に到着したところ。まるで時間が止まっているかのように園内広場での子供たちが様々な立ちポーズでじっと固まっているのだ。ん?なんだ?と一瞬不安になったが、やがて「だるまさんがころんだ」と声が入る。なんだそんなことかとすぐさま消化してしまいそうになるがそうはならない。この子供たちが止まったままの光景のカメラの横移動が微妙に長く感じるのだ。ちょっと只事ではないぞ。この作品には物語とは関係なく何でもない場面が何か異世界の存在を暗示しているようでどうにも落ち着かなくなる。他にも林の中で巧が陸わさびを見つけてカズオ(三浦博之)とそのわさびを眺めながら語る場面。見つけた時の巧のクローズアップは明らかに"陸わさび"の視点なのである。通常であればどうだろう?例えば陸わさびを根っこからひとつむしり取って手のひらに乗せて、これが陸わさびだよと観客にもわかるようなアップがあっても良さそうだが、そうはなっていない。そうした映画内での違和感漂う数々の”視点”というものにさらに注視していくと、たとえば黛(渋谷采郁)が林の中で水を運んでいる姿を視点としている眼差しは一体何か?花をおんぶして林の中を歩いている巧を見ているのは何者か?それらは林の中で静かに生息するシカの視点ではないのか?シカ内世界の存在とでもいうか、尋常ならざる存在を感じないわけにはいかなくなるのである。そこで問題のラスト。手負いの二匹のシカがこちらを見つめるシーンの直後に花がシカに近づいているショットに変わると、それを遠目に見つけた巧は花の捜索に同行していた高橋(小坂竜士)に突然スリーパーホールドをかませて気絶させる。その隙に娘を抱え上げたまま来た道を戻る。林へ向かって懸命に走るカメラの視点はもちろん巧の視点なのだが(荒い息が聞こえる)、もしかしたら走る巧はシカに変身しているのではないかと私は想像したのだ。いや、変身ではない。正体を現したとでも言おうか。巧と花は実はシカの化身だったのだと確信したのである。映画のはじめから全編を通じてどうもこの父娘の、常に別世界にいるような立ち振る舞いの連続はこのラストシーンの解釈で何か納得できるものではあったろうと、少々突拍子もないと思われるような愚考が広がるのである。もう一度映画館で観たい衝動に襲われている。機会を作りたい。