『きみの色』
山田尚子監督
【鑑賞日時】9/1(日)8:10~
【鑑賞映画館】新宿ピカデリー
この物語の中心として動く3人以外に登場する目立つキャラクターとして、シスター日吉子の身振りを眺めていると『リズと青い鳥』(2018年)の新山先生を思い出した。この新山先生はオーボエ奏者の鎧塚みぞれにクライマックスの感動を決定的にさせる”気づき”を与えている重要な人物だ。だからこそ『リズと青い鳥』は傑作なのである。
しかし『きみの色』を観ながら新山先生を思い出すことは、この作品と『リズと青い鳥』を比較してしまい、不本意にも鑑賞後に戸惑いを覚えてしまった。なぜなら主要3人の顛末にカタルシス的な物足りなさを感じてしまったからだ。思い出すことの残酷さ。
ところが後日、偶然にも山田尚子監督の『きみの色』の制作過程にまつわるインタビュー動画を観て、これを参考に再解釈してみたらなんとか平静を取り戻せたと自省する。どういうことか?
光の三原色は合わさると白色になる。なぜ白くなるかというと極限まで明るくなるからである。人間の視覚機能の問題だけど、光の存在の核心は明暗なのだ。
この作品は3人が重なると真っ白い背景になる妙を堪能する作品だ。つまり一人一人の悩みの背景や個性が薄まっているのは3人合わせて一人のひとつの人格の物語と解釈した方が面白い。(三位一体とかいうと誤解が生じるので注意)もっとわかりやすく言えば3人の出会いを導いた白猫(=光の三原色)の存在を思いだそう。導かれることの行く末は融合するしかない。
だから1人でもなく2人でもなく、”3人”という設定は非常に重要で、3人でないと成り立たない。ただし例外として、トツ子のジゼルの独り踊りは背景が印象派絵画を思い起こさせる、別格級の名場面である。
あー、モヤモヤが解消された。やっと爽快感を獲得した思い。もともとは私の好きな青春映画なので、こうでないと。