ゆゆの部屋

お暇なときにまったりと。

黄砂でしょうか、空が薄雲っています

2008-03-13 11:29:15 | Weblog

法事の後連日のお天気のお陰で
片付けも一応昨日で終了

前の晩から一家族泊まってもらい
当日、親戚・兄弟とその子ども入れて総勢32名

皆の会席料理を仕出し屋に注文し
先月末から粗供養の品の準備
客布団・座布団・湯のみ茶わん
ビール・酒・お茶・コーヒーの飲み物茶菓子の用意
仏壇や墓にに供える花の用意
これら全てを段取りよく且つ滞りなく
また、その日はお嫁さん(皆私より年上)や姪っ子や甥っ子の手助けを借りて・・
親戚が帰ってからお下がりを配り掃除
会席の片づけが結構手間で
使い捨ての容器にしてもらっていても残飯を集め容器ごとにまとめて
ゴミ袋2杯のゴミ
翌日から座布団などの片付け
店を借りてすれば準備も片付けももっと楽だろうが
法要が済んでから墓参りをするので
その移動を考えるとどうしても自宅でするほうがやりやすいし
親戚の身になれば足の悪い人も多く、法事のあとそのまま家で留守番することも可能ということで
結局前回同様家ですることとなった
今回の法事で葬式・年忌あわせて8回目
手伝いの助っ人も手馴れたものでほんとうにみんなのお陰で無事に終えられたと感謝感謝

さて義母の3回忌でもあった今回の法要
済んでみればホッとした・・とうのは確かなのだけれど
それとはまた違った感情が
今まで何をするにもなんだか義母がすぐそばで
「そうやなぁ~」とか「そうしぃ~」みたいに言ってくれてたみたいに感じていたのだが
法要が終わった今
その傍にいてくれた義母がなんだか遠いところに行ってしまったような気がしてなんだか淋しくてならない
「人は亡くなると3回忌までは家に・現世に未練があり、大事にしてあげないといけないよ」みたいな話は聞いたことがあるのだが
まさにその通りと言うのか
義母がその前に無くなった義父・すなわち愛する夫のもとに行ってしまったと感じる
法事を無事に済ませた私たちをみて安心してあの世にいってくれたかな
それならばいいのだけれど