踊りの会でのおばちゃんパワーがいつも凄いという話をしていました。
たまにお客さんでもその世代の人と話す事は全然あります。
友達にもいます (^.^)
私でももう既に初老も過ぎて昭和世代という感じですから (^.^)
しかしながら一斉に一日中そのおばさんパワーに囲まれると流石に疲れるのも正直な気持ち(笑)
大阪パワーの掛け合い漫才のような会話は面白いけど、
時に内容の方が疲れるんですよね
それはなんでかと言うと……、
口から出る言葉と本音とがバラバラなんですよね、
それが普段の一人二人の対応ならどって事ないけど、
多くを一日中聴いてると、ホント大変だなと (^^;)
体の衰えもそうだけど、あちこち痛いねん……の話や、
なのに、やっている事と言ったら……とか。
無理を強いたり、言葉では大変って言ったり、もうアカンわって言ったり、大丈夫って言ったり。
旦那さんの愚痴、なのに、一人では暮らせないと言ったり。
手伝ってもらってるのに文句だったり、
だれだれの話、なのに自分はどうなのと棚に上げ。
キリがない延々と答えを出さない話ってこんなにも続くんだなと (^.^)
女ってこうやってストレス吐いてるんだなと思ったりしながら
そうしながらもパワフルにこんなイベントに参加して、
旅行いって、旅行話に花咲かせて。
文句言うて愚痴言うて……
段々聴いてて面白くなってくるんだけど、
結果何も変わってない
人間、大人の世界になっていくにつれて理不尽な事やアンバランスな事、腑に落ちない事が多すぎるんでしょうね
何となく私は、それも自分の中の心で、バランスだなという話をいつも記事にしているのですが。
気持ちと心と魂の折り合いをどうやってつけていくのかと。
言葉にすると何でもが小難しい話だとなって避けてしまう事だろうし、
その折り合いがつかない事でも
自分を、また自分の気持ちを、また自分の心を、自分の魂を、
なだめすかすことが多すぎて、
なだめすかしながら生きてきた時代
なだめすかせずにはやってけない事ばかりで、
そうやって蓋してきたことが多い。
それをこんな話せる場で発散しているつもりでも
自分の気持ちと心と魂がそれぞれ別々にバラバラになって表現していると大変だなと。
解決もない、回答もない、理解もない。
それって、痴呆症の要因にもなる事、
自己犠牲の精神も我慢も
昭和世代には美学と言われた生き方だけど、
その自己犠牲や我慢にも気づかないで、
言葉だけでどうにかねじ伏せようとしているようにも映る。
パワフルだけど体の中はボロボロになってる、
そう自分の口からも出ている。
もうなだめすかす時代ではないんだよと自分に言ってあげないと終わらないかも……。
一言でストレスって言ってられない時代です
自分の事やもん (>_<)
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