「世界観」というテーマでつらつらと語っている私ですが、
何度も話している私の事で自己肯定感低かったんですよねという話、
40歳ぐらいから自分を好きになるというテーマを年初に掲げながら、
それ以降自分と向き合って来たわけで、
向き合ったおかげで自分がこんなにも自己肯定感低かったんだと気づいたわけで、有難いなと思ってるんですが (^.^)
趣味でも何でもですが、
小さくても大きくても極めても極めなくても
少しでも一つでも自分の世界観をもつ事って素晴らしいなと思うのです。
そうです思えたのです (^.^)
世界観をもつ事が自分の自信となっていきました。
一つでも小さなものから大きく育てて行く事で大きな自信にもなっていきました。
世界一つが二つになったり、
世界も広がれば世界観も増えて広がっていきました。
それが自信となって行ったという事は、心が増えて大きくなって、
心が広く繋がっても行きます。
自分の趣味についてとか思いや考え、自分の意見や世界観を人に話す事で繋がっていくし、
その世界観を人に話すって初めは苦手で難しくてって思う人はもっともっと多いと思いますが、当然のように私もです。
その苦手でも話すという事は、世を繋げて引き継いでいくのは何も文化とか芸術だけではないと思うのです。
昨日に話した人生観・生命観・死生観も本当に話す必要性はあると思います。
たまに真剣な話をする事も必要なんだと。
昔だったら3世代とか大家族が住んでいると、一つの人生を生から死まで見ることが出来て考える事も出来て、引き継いできましたが、
今は個性やパーソナル、家族なら核家族となって、またそれがもっと小さくなっていって、その引継ぎの場面も少なくなりました。
どんな人も一生懸命生きている、その事だって自分に向き合って自分の事だと思うと心の奥から言葉になって出てくるようになる。
多少の練習が必要なぐらい。
話す事じゃなくいろんな表現方法で交流するのも良いでしょう。
発信するという事はいろんな意味で必須なんですよ。
同じことをするとか同じ世界観をもつというんじゃなく、
人の世界観も認めることが出来るし、人そのものを尊重できると思います
そこには区別も差別もなるなるんだと思います。
世界観をもつ事によって、自信も持てれば区別や差別がたとえあったとしてもその自信を誇りにも変えれるぐらい大きなことかなと ヽ(^。^)ノ
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