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だからなのか……、
違いに惹かれる。
違いに引きあう。
そうじゃない自分を見つけに行ってるのかな (^.^)
それが縁となっているのか、
段々と違いに耐えられなくなる。
それも在りなんですよね。
たとえ結婚という縁でも。
日本では結婚というカタチにはめ込みたいという認識が強い。
今世の中で同性婚とか別性でそのカタチにはめたいという考えも強く主張されてる人もいるけど、
日本の憲法の中には婚姻に関して子供を産み育てるという文言が入っているものがあるらしく、同性婚などが禁止ではないけど、憲法も邪魔になっているらしい。
カタチにはめ込むのに大変ならば、その後の規定を緩めてみればいいのにね。
パートーなーとして。
こんな結婚に関してもただの縁なのに、それにかかわる問題がクローズアップされて本質からずれて行ってしまうのは残念な事だなと思うんですよね。
縁に向き合う事から離れてしまう。
本来なら夫婦になったとしても最初の縁とかけ離れていく場合だってあるのです。
最初はその違いにお互いが惹かれ、引き合う。
お互いが人生のパートナーとして学び歩み寄り、
違いを認め合い、理解しあう事でお互いが成長する。
それなのにカタチに執着してその違いに耐えられなくなった時に離れられないでいる。
体裁も在れば、世間体、共依存もある。
違いがどんな風にかけ離れて行っているのか、冷静に客観的に分析すれば、
横に広くズレているのか、
縦にズレているのかでも全然違うのです。
どちらにせよ、ズレが解消しないのならば離れる、手放すことが正解なのかなって思う。
自分自身がどうなのか、
やっぱりパーソナルな視点は客観視する必要はあると思いますが (^.^)
全く違う世界ってホント憧れますもんね。
惹かれて当然、引きあって当たり前。
たまに映画なんか見てたら、あの極道の世界ですら仁義や義理人情、潔さ、等見てたら憧れますもんね。
でもふと我に返り、その世界に入っていく自分を想像してみたり、入ってみたりすると、世界の違いに気が付く。
そこに居たいかいたくないか。
そんなんすぐ分かる例題かも知れないけど、
その境界線が分からない事なんてこの世に山ほどあるのです。
いつしかのめり込んでる。
いつしか依存してる。
いつしか違いも分からなくなってる。
それは自分自身が見えなくなっているのです。
早くに「あっ!違うな」って気が付けばいいけど、
もう少しもう少しって頑張っている間に嫌だけどその合わせる気持ちに依存してしまって行くんでしょうね。
まさしく今の結婚制度がそんなぬかるみかも知れない。
そうならない制度になればいいのにってつくづく思います。
自分の子供の時代にはまだ早いかも知れないけど、
もっと未来には結婚制度はうんと変わっているでしょうね。
政府が表面的な少子化ばっかり言ってる間は変わらんと思うけど。
向き合っている間にしっかり自分が精神的に自律してその違いをどう観るかです。
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