緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

続2・意識の持ち方、考え方

2020-09-02 | 『わたし』
    私の探究を通しての考え方の変化とか意識の変化を記しておこうと、ここのところ続けていますが

この変化していく基になった自分の性格というか、資質や意識の基に「元の元」「そもそも何?」「なんで?」という事がかなり影響していると思います

赤ちゃんが聞く「お母さん何?何で?」というやつですね

若い頃には気づかなかったけど、幼少期の環境もその元になっているんですよね

子供の反抗期というと駄目な事だという人もいますが、子供の意識が親と変って行き自立していく過程だと思うので本当は凄く必要な事だと思います

その反抗期、私は親の世界が全てだと思っていたんでしょう(何も考えていなかった)、自分が駄目なんだとか自分が間違っているんだと自己肯定感がかなり低かったんでしょう、親に対して表面的に反抗心を出す事はようしませんでした

自分の中に収めながら、「何でやろう」という疑問と上手く行かない事の不満と「くそ~!」という悔しさという感情はどんどん溜まっていたのは覚えています

不幸だったわけではなくて、母親のお飾りのような、母親の思うがままに育てられてきました

一般のサラリーマンの家庭で、裕福だったわけでも無く、いつも母親はお父さんのお給料は低いとばかり言っていて、その代わり自分が内職して、パートに出て、家族のために家計を助けていると、その中で私にはいろんな事をしてくれていたんです

あんたの為や!という言葉をどれだけ聞いたか(後には、それが母自身の為だったやろと気づきましたが)

お誕生日会、お雛祭りも本当に素敵に開いてくれたし、ピアノの先生も家に来てもらっていたし、髪の毛も母親が切って、カーラーで巻いてくれたり、結わえてくれて、洋服もオーダーで作ってくれていた

紡績会社の広大な社宅に住んでいたけど、近所の幼友達は今でもその頃の私が羨ましかったと言います

それでも何故か喜ぶんだけど何かが違うと心は満足していなかった自分もいたように思います

表面的には良くしてもらっていた割には私の事を否定する事も多く、受け入れてくれる事も少なく、「あんたは!」という枕詞に続く言葉はいつも悲しい言葉ばかりでした

普通や出来るのは当たり前という評価で褒められるという事は無かったです

よくシクシクと影で泣いていました

人見知りで、泣き味噌で、兄ともよくケンカしてというか、よくいじめられていました。それにもよく泣いていて「泣くな!」って追いかけられて怒られていました

そんな事も理不尽で、それに対する母親の対応も理不尽で不満でした

母親はよく、アンタはキツイ子や、変わった子や、アカン子や、「お兄ちゃんは怒って灸とか押し入れに閉じ込めたりしてやったけど、アンタは怒ってやってないからあかんかった!」なんてことも言われていた

そんな事もだけど、他人の噂話や、憐れみ話、人に言ったらあかんでと言いながら自分が言っていたり、他人の前では我が子の事を卑下していた、まああまり自分の子供を褒める事は無いかもしれないけど、謙遜は日本人の美学だったし。

少しずつ母親が言っている事に違和感を覚えていった

それでもまだそんな時にはそこからどうしたら良いのかも分からなかったんでしょう

中学校や高校1年ぐらいまでは顔も太々しくて、体も太っていて容姿にも自信なかった私は、自信もないまま虚勢を張って生きていたように思います

高2ぐらいにはスッキリ痩せて少しは表面的な自信はもてたように思いますが、内面的自信はまだまだでした

学生時代からやる事も一応真面目にやりながら、人の世話も好きで、仕事も一生懸命勉強しながら死に物狂いで働いていた

そんな頃は根拠のない大きなエネルギーでぶち当たりながら進んでたようにも思います

たまたま色んな意味で内に秘めたエネルギーはあったんでしょう

こんな幼少期からの事を恨んでいるわけではないんです、気づかなかっただけ

多分、母親の影響が大きく受けるのも縁と運命だったんだと思います

そこから本当の自分を知り自律していく事が人生の課題だったんでしょう

後々にこんな事を思い出していきました。

すべて結婚する事により、実家から離れ、外の世界を見て行くというステージに変わって行ったんです

結婚する相手も同じ人間なのに、親はこんなにも違うのかと思い考え始めました

母親の影響もですが、「同じ人間なのに」って言うのも私のキーワードでした

同じ人間なのに、どうして違うのか…

同じ人間なのに、どうして分かり合えないのか、

もちろんそんな時は自分が正しいと思っていました、だって、私を育てた母親が正しいと思い込んでいたから… (^^;)

人は違うと知ってからは、人の事に興味をもち、何でも聞きたくてしょうがなかった

それに、自分の事も人に何か言われたりして何でも知りたくなって行った

悪い事言われたら腹も立ったけど、二度と言われまいと奮起したリ

その反対に善い事言われたり、褒められたりしても喜ばない自分もいたりした

こんな事も幼少期の影響なんでしょうが

その後の結婚から始まった謎解きの基礎となったんでしょう

その基礎があったから違和感も湧き、考え、悩み、どんどん深まっていきました (^.^)



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