
桜咲く広島城
毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築いた平城、広島城(鯉城)。
安芸一国、備後半国の領主浅野家12代の居城。
旧天守閣は、昭和6年(1931年)1月19日に国宝に指定されている。
そして、あの昭和20年8月6日の原子爆弾により、
旧天守閣は倒壊し、場内の建物はすべて焼失したそうだ。
現在の天守閣は、昭和33年(1958年)に復元されて、
武家文化を紹介する歴史博物館になっていた。
かつての国宝だった広島城。
ウィキペディアに、
※※※
1945年に倒壊するまで現存天守の中では
岡山城天守に次ぐ古式を伝えるもので、
外壁仕上げの下見板張りや最上階に高欄を持つ外観仕様は
国宝保存法下の国宝指定(1931年)の理由の一つ
※※※
とあった。

天守閣からの眺望:遠くに原爆ドームも見える
この春大学生となる男子孫、お祝いに春休みの旅を一緒にすることにした。
歴史、時代劇大好きの男子孫の希望の行き先が、広島城と呉にある大和ミュージアムだった。
3月28、29日に、男子孫たちを連れての春休み広島旅となった。
そして、孫たちの小学生の修学旅行先でもある「安芸の宮島」へも。
少し成長して、修学旅行先「宮島」に立ち、
あの修学旅行をもう一度となったかどうか?


広島城内に、「大本営」が置かれていた時代もあったようだ。
1894年(明治27年)日清戦争中のことと書かれていた。
広島には、そんな時代もあったんだなぁ~と、あらためて広島城を眺めた。
広島には何度か来ているが、広島城は初めて来た。
歴史好きの孫と一緒でなければ、来ることがなかったと思う。
広島駅を発着する循環型のバス「めいぷる~ぷ」を利用して、
縮景園や原爆ドームへ。

原爆ドームは、平成8年(1996年)12月、核兵器の惨禍を伝える建築物として世界文化遺産に。
説明板には、
原爆ドームのもとの建物は、
チェコ人の建築家ヤン・レツル氏の設計により1915年(大正4年)、
4月に広島県物産陳列館として完工し、
特徴ある緑色のドームによって市民に親しまれていました。
と書かれていた。
初めて、レンガ色でなく、緑色のドームだったんだと知った。
いつも初めて知ること多しの旅先でのこと、幾つ覚えていることが出来るかな?(^-^;。
3月28日は雨だったので、
ゆっくりと大和ミュージアムの見学。
展示品が多くて、読んで読んでと読むことが多くて。。。
休憩用の椅子で座ることも多かった。(^-^;

ビデオで、戦艦大和に乗っておられ生き残られた方のお話も聞くことが出来た。
※※※(2021.4.8.追記)
今日のM新聞朝刊に掲載されていた大和(戦艦)の記事。
昨日4月7日は、大和(戦艦)が沈没した日だった。
「特攻大和艦隊は航空機の護衛がほとんどない裸艦隊で出撃。
わずか2時間の戦闘で、大和など6隻が撃沈された。
戦死者は4000人以上。航空特攻の戦死者に匹敵する人数だ。」
と、記事に書かれていた。

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