ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

はじまりへの旅

2019年05月01日 | ネタバレなし批評篇

この映画にはヘンリー・ソロー著『森の生活』をそのまま実践しているような家族が登場する。“聖なる鹿殺し”シーンに始まり、軍隊式筋トレやロッククライミングでまだ幼い子供たちを鍛え上げたかと思えば、夜は難解な書物(ジョージ・エリオットにジャレド・ダイヤモンド、ブライアン・グリーン…)を教科書にお勉強会だ。アナーキストを気取る哲学者ノーム・チョムスキーを救世主と崇めるこの家族、のっけからアメリカ消費文化にテロをしかけそうな勢いである。

そんな禁欲生活を送る家長ベン(ヴィゴ・モーテンセン)の元に、そううつ病の治療のため実家近くの病院で治療にあたっていた妻の訃報が届く。母親が残した遺言どおりのセレモニーを実行するための旅がはじまるのだが…。道中、汚染された食物しか出さないファミレスを途中退店、“食物を解放する”ためと称してスーパーマーケットでは万引き家族と化し、途中立ち寄った弟の家でこれみよがしに8歳の娘に権利章典を暗唱させるベン。

自身放浪経験をもつヴィゴ様だけに、フルチン姿もなんのそのアナーキーなブッティストの主人公ベンは、(メタボなイタリア系用心棒なんかより)よっぽどのはまり役といえるだろう。映画前半こそその俗世間との感覚のズレがコメディに昇華されていたが、映画後半ベンの暴走っぷりが子供たちを振り回し始めると、ベンの姿がだんだんと再婚相手の連れ子を虐待死させた日本のドメバイオヤジに見えてきてしまうのである。

あのスティーブ・ジョブスも傾倒したといわれる禅や仏教。最近ではマインドフルネスと呼び名を変えて忙しいビジネスマンのすさんだ心を癒しているという。そのヒッピー文化の延長線上にあると思われるベンの哲学とお釈迦様が説かれた精神哲学を、監督と脚本を兼務したマット・ロスが混同あるいは勘違いしているように思えるのだ。

チョムスキーよろしくキリスト教社会やグローバリズム資本主義に敵意をむき出しなのは大いに結構だが、軍隊式トレーニングによって無垢な子供たちに自己責任という“怒り”の心情を押しつけるのはいかがなものか。お釈迦様が禁じた飲酒や性交もやりたい放題、“自我”や“執着”を否定することなく、ただご遺体を火葬することが仏教であるかのような誤解を観客にあたえかねないのである。

俗世の垢にまみれていくほどに分裂度合を深めていくベンと子供たち。映画序盤の輝きもお涙ちょうだいの予定調和なラストシーンへ収束するにつれ尻窄みになっていく。「俺が間違っていた」と終に白旗をあげてしまったベンは、最終的に子供たちを学校に通わせ社会との妥協をはかるのである。セレモニーの途中、ガンズ&ローゼスを口ずさむヴィゴ様に何ともいえない違和感を覚えたのは、監督マット・ロスの仏教に対する中途半端な理解が生んだ業のように思えるのだがどうだろう。

はじまりへの旅
監督 マット・ロス(2016年)
[オススメ度 ]

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