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女好きな父親と二人、ポートランドで借家暮らしをしているチャーリー(チャーリー・プラマー)の日課は、家の近所をジョギングすること。ある日痴情沙汰で大怪我をおった父親の傷がなおるまでの間、厩舎でピートという名前の競走馬の世話をすることに。レース中怪我が判明したピートはメキシコに売られることになってしまうのだが…
アメリカで最も住んでみたい街といわれるポートランドだが、『世界ふれあい街歩き』に描かれる明るい雰囲気など微塵も感じられない。ピートを売買から救出しワイオミングへ向かう旅の途中チャーリーが出会うのが、これまた夢も希望もないヒルビリーたちだ。PTSDに悩む中東帰りの元兵士の兄弟、「他に頼る所が無いから」と嫌味な祖父の面倒をみているメタボ少女。炊き出しで出会った失業者には酔った勢いでバイト代を奪われて…
そんなチャーリーの唯一心の支えとなっているのが、子供の頃優しく接してくれたマージ叔母さんだ。叔母さんの住むワイオミングを目指して旅を続ける一文無しのチャーリーとピート。「競争馬をペットと思ってはダメよ」とチャーリーに諭す女性騎手、チャーリーの無銭飲食を見逃してくれるダイナーのオバサン。ゲイの監督が撮った映画にしては珍しく女性が非常に好意的に描かれているのだ。
それは、競走社会のセーフティネットからこぼれおちたチャーリーの(ダルデンヌ兄弟が描いた『ロゼッタ』とは異なった)ナイーブさが、母性本能をくすぐったからではないだろうか。言い方を替えれば、人の本能にすがることぐらいしか救いの道がない、ということなのかもしれない。チャーリーのような無力な若者に、“こうなった原因は全てあなたの自己責任”ですませてしまう社会の在り方に、ヘイは疑問を投げかけているのである。
クライマックスでかかるアンビエントなインストルメンタル以外、この映画には音楽らしい音楽がほとんど使われていない。その代わりに、街中で聞こえる雑音や自然音が意識的に強調されていることに気づくことだろう。遠くから聴こえる街の雑踏や車のエンジン、馬の蹄に厩舎の電灯、荒野に吹きわたる風が揺らす木々の葉や虫の声…。誰にも頼ることができなかった時はチャーリーの耳に鮮明に聴こえていたはずの音が、頼るべき人が見つかり社会と繋がった途端全く聴こえなくなってしまうのだ。
本作のインタビューでヘイがこんなことを言っていた。「私はゲイとして育ってきて、余白にいるような感じがしていました。周りとは同じではなく、社会のなかに自分がいないようなような感覚があったのです」そこにいても誰からも無視されるような孤独な透明人間だからこそ、チャーリーもそして監督のヘイも、普通の人には雑音でしかないこれらの音を、(ピートがチャーリーのモノローグにぴくぴくと耳をうごかしていたように)自分に語りかける親しい人の“声”のように聞き取っていたのではないだろうか。
リーン·オン·ピート
監督 アンドリュー·ヘイ(2017年)
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