
アマプラ公開を機に2回目となる本作の視聴。映画冒頭シーンが、濵口竜介の『悪は存在しない』とまったく同じだったことに今回はじめて気がついたのです。『悪は存在しない』では、人知の及ばないこの世ならざる世界の象徴として、森の木々を下から見上げるシーンが冒頭延々と続いていたことを憶えているのですが、役所広司演じる🚻清掃員平山は、なぜ神社の境内にはえている木々の木漏れ日を写真に撮り続けていたのでしょうか。現実社会から隠れるようにして生きている平山は、“草葉の陰”から覗く“完璧な太陽(PERFECT DAYS)”を撮影しようとしていたのかもしれません。
渋谷に点在するデザイナーズ・トイレを丁寧に掃除して回る平山は、「どうせ汚れるのにそんな一生懸命にやらなくても」と同僚のタカシ(柄本時生)からたしなめられます。毎朝の目覚まし代わりに、平山が耳にするお婆さんが竹箒で道路を掃き浄める音。明日になればまた道路には落葉が散乱しているはずで、平山の🚻清掃と同じように無駄な作業とも思えなくないのです。それでも平山は毎朝早起きして、仕事→風呂→ナイターをみながらいつもの居酒屋で晩酌→読書→就寝と、毎日ほとんど変わらないルーティンをたんたんとこなします。そこに訪れるちょっとした変化をつまみに、輪廻のように繰り返す業としての人生にささやかな喜びを見出すのです。
しかし、家出した姪のニコが平山の住むアパートに転がりこんできて今までの平穏な生活がガラッと変わってしまうのです。現実社会に生きている姪と生活しているうちに平山の中に娑婆への未練めいた感情が生まれたのかもしれません。ニコを連れ戻しにやってきた妹(麻生祐未)親子と別れる時に、今まで封印していたはずの感情が爆発、平山は思わず大泣きしてしまうのです。さらに、金髪の彼女と破綻したらしいタカシから突然の離職通知、懇意にしていたスナックのママ(石川さゆり)とその別れた旦那(三浦友和)が店内で抱き合っているところを平山は偶然目撃してしまうのです。
感情が高ぶった平山は、缶ビールを買い求めなぜか(三途の?)河川敷で飲み始めます。そこに元旦那が現れ自分が末期ガンであること、ママにお別れをいいにきたことを平山に告げるのです。「結局何にも分からないまま終わっちゃうんだな」と呟く元旦那に「影が重なると濃くなるんですかね」と聞かれた平山は「何も変わらないなんて、そんなバカなことはない」とはじめてむきになって答えるのです。人と人が出会ってたとえ別れたとしても、以前と何も変わらないなんてことがあるわけがないと、平山は信じているのでしょう。ここで『東京画』を日本で撮影したことのあるWWはおそらく小津安二郎へのリスペクトとして、禅の精神性を平山という人物を通じて表現しかったのだと思います。
小津作品では定番のスタンダードサイズのアスペクト比や、常連俳優笠智衆を想起させる“平山”という苗字とちょび髭もさることながら、本作シナリオの中味は禅の修行から悟りへといたる独覚の物語のように思えるからです。現実社会とは一線を引き無為自然のままに質素に生きる男が、日常の作務の中から世の無常を理解し、一期一会の出会いと別れを経験、“(今度ではなく?)今”の大切さを知る。三浦友和との絡みが『パターソン』のアダム・ドライバーと永瀬正敏に見えたり、ラストの泣き笑いシーンが『インヒアレント・ヴァイス』ラストのホアキン・レインボーショットと重なったりしたのも、けっして偶然ではないのです。
PERFECT DAYS
監督 ヴィム・ヴェンダース(2023年)
オススメ度[


]



