ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ルックバック

2024年11月09日 | ネタバレなし批評篇


わずか58分という上映時間ながら、『雨に唄えば』や『ワンハリ』、『ラ・ラ・ランド』に『インターステラー』へのオマージュ、『バタフライ・エフェクト』なんちゅうわりとコアなSFのポスターまで劇中拝める一風変わったアニメーションなのである。シスターフッドの破綻を描いた『雨に唄えば』以外は、本アニメにも唐突に挿入されている「あの時ああしていれば、そうなっていたかもしれない」アナダーワールド描写が共通項になっている。漫画家藤本タツキとしても、問題のシーンに対する違和感を少しでも和らげたいという意図が働いたのかもしれない。

パラレル・ワールドと聞くとついついその点ばかりに注目してしまうのだけれど、個人的には『ルックバック』というタイトルの意味にも観客は目を向けなければならないだろう。なに言ってるのオッサン?“振り返り”って意味に決まってんじゃん、アニヲタのディープな世界に首つっこむんじゃねぇよ。と、おっしゃりたくなる気持ちもわからないではないのだが、映画にはあまり関係のないアニメクリエーターのお話なのに、なぜ映画それもかなり著名な監督が撮った作品ばかりをオマージュネタとして使ったのだろう。ほとんどアニメを見ないオッサンとしては、むしろその点が気になってしょうがないのである。

シネフィルなんてもはやとっくにオワコンだし、シネコンで見れる大作以外そもそも映画見る時間なんてねぇっつうの。で、何が気になんの、オッサン?このアニメ、藤野及び京本の“背中(バック)”ショットかやたらと多いことに皆さんお気づきだろうか。子供は親の“背中を見て”育つというけれど、引きこもりの京本は漫画の才能がある藤野に憧れというか、リスペクト的な感情を抱いていたのではないだろうか。(これはあくまでも仮説だが)それゆえ、アニメのストーリーには直接関係がないものの、著名な映画監督への“リスペクト”を込めたオマージュシーンを、わざわざ突っ込んだのではないだろうか。

パラレルワールド・シーンの中に京アニ放火犯人を彷彿とさせる男が登場し、「俺の作品を盗みやがって~」と叫びながら⛏️をぶんまわす。京本が藤野の漫画を、藤野が京本の背景画をはじめて目撃した時、一瞬相手の才能にコンプレックスを抱くのだが、と同時にお互いをリスペクトし合う同士的な感情が生まれるのである。特に引きこもりの京本の場合、藤野の“背中(バック)”をずっと追いかけていたわけで、⛏️男には逆に相手をリスペクトするような純心に欠けていたのではないだろうか。京アニ放火犯人に限らず、現代に生きる我々にも当てはまる“リスペクト欠乏症”への警鐘として、本アニメを見ることも可能なのである。

お互いをただただ罵倒し合うアメリカ大統領候補2人を見ていて、ふとそう思ったのである。トランプが今回ハリスに勝てた一番の勝因は、おそらくトランプをリスペクトとするイーロン・マスクやJ.D.ヴァンス、ロバート・ケネディJr、トルシー・ギャバードにタッカー・カールソン等の良き仲間に恵まれたからだろう。金にものを言わせてかき集めた(心中まともな受け答えのできない候補を軽蔑している)セレブ・タレント以外サポーターがいないハリスなどにはなっから勝ち目は無かったのである。マスゴミやFBI、司法によって悪党扱いされ続け、暗殺未遂にあってもなおめげずに戦い続けたトランプの“背中(バック)”をイーロンたちはずっと固唾をのんで見守っていたに違いない。ある意味、“リスペクトが金に勝った奇跡”なのである。

ルックバック
監督 押出清高(2024年)
オススメ度[]


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドライブ-アウェイ・ドールズ | トップ | インディ・ジョーンズと運命... »
最新の画像もっと見る