雑居空間
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 一応長岡城の遺構めぐりという名目で長岡駅周辺を散策している途中、長岡の東にある悠久山公園まで足を延ばしてきました。





 長岡駅の東側にある、シンボルロード。かつて栃尾鉄道が走っていた路線跡を利用しています。
 昔は水が流れていたような気がしたのですが、この日は空でした。季節的な物なのか、それとも今はもう水は流していないのでしょうか。





 シンボルロード沿いにいろいろな像が並べられています。



 川上四郎動画集より、「かえるの船頭さん」。
 元々は竿が上に伸びていたのが折れちゃったんだと思いますが、代わりに棒が括り付けられているのがちょっとかわいいです。



 その先にある、長岡の知の殿堂・中央図書館。
 中央図書館ができるまで、図書館と言えば学校の図書館か、長岡市立互尊文庫という駅の近くの小さな図書館くらいしかありませんでした。初めて行ったときにはその巨大さに圧倒されたものです。まだ見ぬ書籍を求めて、結構お世話になりました。





 長岡駅から3㎞ほど歩いて、悠久山公園の手前までやって来ました。丘の上に天守が見えますが、あれは悠久山公園内にある、長岡市郷土史料館。別にあそこに城があったわけではなく、しかも長岡城ではなく会津若松城の天守の上三階分を参考にしているということで、模擬天守と呼ぶのもちょっと違うような気がします。



 悠久山プール。
 長岡市出身で、シドニーオリンピック100m背泳ぎ銀メダリストの中村真衣もここで泳いだとか。



 一応長岡最大の野球場・長岡市悠久山野球場。
 かなり古くて狭い球場ですが、かつてはプロ野球の興行も行われていました。私が初めてプロの試合を見たのも悠久山球場で開催された、近鉄バファローズ-西武ライオンズ戦でした。4-3でバファローズが勝ちましたが、狭い球場なので、その得点は全てホームランによるもの。でも清原とローズのホームランは場外に飛び出す、球場の狭さなんて関係のない特大の当たりでした。プロってスゲーと思わされました。
 ちなみに、イチローがプロ初本塁打を放ったのもこの球場で、そのときの対戦相手は野茂英雄でした。



 悠久山球場の裏に悠久山公園があります。入り口に蒼紫神社があります。



 蒼紫神社の本殿。



 蒼紫神社の山門。こっちが表参道ということは、今ままで正面だと思っていた方向(今回も入ってきた方向)って、正面じゃなかったのか。初めて知った……。



 本田の隣にある、忠犬しろ神社。
 しろは長岡藩の三代藩主・牧野忠辰(ただとき)公の飼い犬で、中沢村の庄屋・善兵衛から譲り受けた犬でした。
 あるとき、忠辰が公儀で江戸へ行ったときにしろは大変さみしがり、忠辰の後を追って江戸までやって来てしまいました。それを知った忠辰は、しろをたいそうかわいがったそうです。
 そんなある日、尾張徳川家が飼っていた大きな洋犬が長岡藩邸の前で、しろを挑発してきました。いくら挑発されても黙って耐えていたしろですが、ついに堪忍袋の緒が切れて、その洋犬にとびかかって追い払ってしまいました。しかし何しろ、相手は尾張徳川家。もめ事を起こすのは問題だとしろをきつく叱りました。するとしろは、かなしそうに長岡へと帰っていったのでありました。しろが長岡へ戻ったと知った忠辰は、しろをいたわってやるようにと家来に命じます。
 長岡に戻ったしろは、かつて過ごした中沢村の善兵衛の元へ向かいます。しかし善兵衛は殿の許しなくしろを飼うわけにはいかず、城へ行くように諭します。しろは城へは行かず、中沢村のちかくでひとり、鳴き続けました。しかしその鳴き声も、やがて聞こえなくなりました。
 そんなとき、忠辰からの「しろをいたわってやるように」という命が長岡に届きます。家臣たちはしろを探し、鳴き声がしていた辺りを探したところ、丘の上でお座りをしたまま息絶えていたそうです。
 そもそも蒼紫神社は、牧野家中興の祖と仰がれていた忠辰を祭神として祀っている神社です。長岡藩開府四百年を機に、蒼紫神社の敷地内に、このしろ神社が築かれたのでありました。



 蒼紫神社を通り過ぎると、広場があります。
 悠久山公園は桜の名所として有名で、春にはこの辺りは一面桜でいっぱいとなります。





 悠久山公園には小動物園があります。
 無料で見られる割には、結構ラインナップは充実しています。



 孔雀。



 アルパカ。ですが、毛を刈られた直後なので、ちょっと寂しい姿です。唾を飛ばしてくるので注意が必要です。



 白鳥。



 クロトキ。



 天然記念物の、日本鶏。



 日本在来種の、シマヤギ。
 頭突きをしてくるので柵に手を近づけないようにという注意書きがありました。



 ホンドギツネ。



 そして悠久山公園名物のサル山。







 何匹いるのかはわかりませんが、多くの猿が生息しています。あちらこちらでいろんなことをやってるいるヤツらがいますので、見ていて飽きませんね。



 サル山の上にある、巨大滑り台。子供の頃はこれが大好きで、何度も何度も滑っていました。
 今は工事中で使用できないみたいですね。







 その奥にあるのが長岡市郷土史料館です。渡り廊下で繋がれた2棟の櫓で構成されています。



 小さい櫓に入口があり、渡り廊下と大きい方の櫓に展示がされています。江戸から明治にかけての長岡の偉人についての展示がメインです。



 天守の最上階から長岡市街地を眺めて。



 東の方は山だらけです。





 この建物は模擬天守ですが、一部に長岡城塁の石が使用されています。
 何しろ遺構が残っていない長岡城ですので、これくらいのものでも感動的ですね。



 他は全部復元ですけど、ちょっと小さいけど鏡石なんかもあったりして、なかなか頑張っているような気がします。







 公園の東側にある池。



 公園内には、いろいろな記念の碑が建てられています。
 これは河井継之助の碑です。



 表参道から下りていきます。



 土俵。



 米百俵でおなじみの、小林虎三郎の碑。



 河井継之助の盟友でもあった、長岡藩家老の山本帯刀の碑。
 長岡城落城後は会津藩と合流して戦い続けましたが、新政府軍に捕らえられた後も恭順を拒み、斬首されました。
 明治維新後、山本家は家名廃絶となったのですが、1883年に再興が許されます。しかし跡取りがなく再度家名断絶の危機に陥るのですが、その時に養子として山本家を継いだのが、後の連合艦隊司令長官・山本五十六なのでした。



 悠久山球場は後ろの山から試合を見ることができる、みたいな噂を聞いたことがあるのですが、どうやらここがそのポイントみたいですね。なんか一人試合を見ている人がいたのであまり近づきませんでしたが、この日は国体の軟式野球の新潟県予選が行われていました。



 長岡開府三百年記念碑。



 表参道の石畳。この石は北前船でやってきた福井の石で、ところどころ修復されているのは会津の石や、長岡市内から採れた釜沢石だそうです。



 表参道の両脇にも桜の木が多く植えられており、その様から「桜第門」、あるいは大正の頃には「桜雲路」とも呼ばれました。





 悠久山から長岡駅へ向かうウォーキング・サイクリングロードがあったので、帰りはそこを通っていきました。



 ただ、長岡駅への行程の半分くらい、国道17号線とぶつかる辺りで、この道はおしまい。歩きやすくて良かったのになあ。



 東から流れてくる、栖吉川。この川が長岡城の東側の守りの一翼を担っています。



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