<「一ノ坪」の風景>
●歩いた日:2022年4月6日(水)
●歩いた所
・高 梨:上高梨、繁昌、一ノ坪
・払 田:境田、高柳
・上野田:道添、中村、上添、道合、川端、四十八
・安城寺(旧千畑村畑屋):切上、竹花
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり6.2km)
(以上の地図:国土地理院)
(📷012の地点から)さらに田んぼ中のあぜ道を進み、「大仙市」と「美郷町」の境界となっている水路のほとりに出る。水路越しに北西へカメラを向ける。
📸013:「上野田」の中心部の家並
奥に写る家々は、この時は歩かなかった道沿いに連なる家並である。ここの地名を調べると、「中村」、「道合」(それぞれ道の東側)、「四十八」(道の西側)となっている。「中村」の地名があるところからも、ここが昔の「上野田村」の中心部と思われる。
「四十八」とは意味ありげな地名である。「地名へのいざない」には、ここに48箇所の泉があり、それに因んで「四十八」と呼ばれたとする伝承が残っている、とある。
水路沿いを西に少し行くと、あぜ道は水路を離れて南に伸びている。その先に小さな社が見えるので、そこを目指して進む。
📸014:「一ノ坪」の社
ログ地図に二点鎖線で描かれている市と町の境界を見ると、私が立っている位置がちょうど境界線上で、この社は「大仙市(旧仙北町高梨)」側になっているようだ。
社は田んぼの中にぽつんと建つ。 田んぼはこれまで何度か整備されたはずだが、この社は移転することなく昔からの位置にそのまま建っていると思われる。
社からあぜ道を西に少し進む。
📸015:「一ノ坪」の家並
こうして見ると、「一ノ坪」はかなりの戸数からなる大きな集落である。「一ノ坪」は、「地名への・・・」によると、河川の浸食による崩壊地(つぼんだ地形)、条里制(古代の耕地の区画法)の一番目の土地を指すとあり、ここは後者ではないかという説を紹介している。条里制と関連があるとすれば、ここはかなり古い歴史があることになる。
幅広の砂利道をさらに西に向かう。写真の左端の家を過ぎると舗装道路に出る。
📸016:「一ノ坪」の家並2
右端、砂利道の奥に写る木立は📸014の社の杉である。
前掲写真は「一ノ坪」を東から、この写真は西から望んだ家並。家々がゆったりと建ち並ぶ農村らしい風景である。
(その5に続く)
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