<歩いたところのS23年の航空写真>
●歩いた日:2022年4月6日(水)
●歩いた所
・高 梨:上高梨、繁昌、一ノ坪
・払 田:境田、高柳
・上野田:道添、中村、上添、道合、川端、四十八
・安城寺(旧千畑村畑屋):切上、竹花
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり6.2km)
(以上の地図:国土地理院)
(📷016の角を) 右折して舗装道路を北に向かう。「一ノ坪」の家々の間を抜け、東から流れ下る水路を越えると「上高梨」である。さらに北に進み、車で走って来た道に突き当たる少し手前で振り返る。
📸017:「上高梨」の一角にて
奥から手前に来たところ。道左側の家々は「上高梨」、右側奥の家々は水路の南側にあり、「一ノ坪」である。
昼近くなって風がかなり強くなってきた。左手のハウスのビニールは冬の間に大きく破れたらしく、風に吹かれてものすごい音をたててはためいている。張替えには一苦労するだろう。
改めて往く先手を見ると、東西に走る道沿いの家々の裏手にあぜ道があり、方向的に車を停めた場所に通じているようだ。右に折れてその道を進むと予想通り車に到着。
トレッキングポールを持たない「仙北平野」歩きは数年ぶり、しかも、6km以上を調子よく歩くことができた。左足の手術をしてよかったという思いを新たにした。
最後に、歩いたところの、最新と古い航空写真をご覧いただく。まずはH28年。
田んぼの緑が最も鮮やかな季節の写真。何度見てもきれいだなと思う。
左上の「P」が車を止めた位置で、歩いた道筋を橙色でたどった。
中央上段に「境田」の社が見える。社を含むこの一角がほぼ正方形になっており、中世の城、「境田城」跡に見えなくもない。
その社の東に、「春日大明神社」と書かれた「真澄の道」の標柱が建つ墓地が小さく写る。
中段右手に「川端」の墓地の大きな木立が見える。
今回は立ち寄らないでしまったが、中央に写る集落がこの辺りでは一番大きい。その一角が「中村」という地名なので、昔々の「上野田村」の本村がこの辺りだったことがわかる。
中央下段、「切上」、「竹花」は「安城寺」(旧「千畑村畑屋」)である。📸010で見たように、ここは「上野田」の辺りから、小高くなっている集落として望むことができる。「竹花」は「地名への・・・」によると、「タケは高・岳、ハナは先、突端(鼻に由来)で、台地などの先端のこと」とあり、まさにここの地理的特性を言い表している。
左下、田んぼの中に「一ノ坪」の小さな社の木立もはっきりと写っている。
次のS51年の写真。
田んぼがH28年のような大区画に整備される前なので、今回歩いた道では橙色の線を書き入れたところは道が通っていない。
「丸子川」は、下流から進めてきた改修工事が上端中央の橋のところまで来ている。中段の水路には木立が連なっており、まだ未整備である。
現在「明神社」(写真には誤って「神明社」と記入してしまったので訂正願う)の標柱が建つと思われるところには何も写っていない。この辺りの田んぼはまだ未整備で、木立が見えるところに墓があったのだろうか。
「川端」の墓地、「一ノ坪」の社の木立をはっきり確認することができる。
「切上」と「竹花」の間を東西に連なる帯状の土地が写る。畑のように見えるが、この場所にどうしてこんな土地があるのだろうか。
最後にS23年の写真。
中段水路の北側、旧「仙北町高梨」の田んぼは一反歩(10a)区画と思われるが、すでに整備されている。これまでも「高梨」のS23年の航空写真を何度か見て来たが、「高梨」は当時、ほとんどの田んぼが整備されており、東北三大地主といわれた「池田」氏が所有田を積極的に整備したことを示していると考えられる。ただ、「丸子川」沿いは不整形な田んぼが広がっており、そこがかつては川の氾濫原だったことの名残である。
一方、中段水路の南の右側(東側)、旧「千畑村畑屋」の「安城寺」の田んぼは不整形な田んぼが多く、こちらは整備が遅れていたことがわかる。
「川端」の墓地の木立も写っている。その一角は、墓地の木立を含め、周囲を木立で囲まれた四角い大きな屋敷のように見える。H28年の写真で見ると、ここには数軒の家が建っているようであるが。
「一ノ坪」の社もしっかり確認できる。
さて、黄色の矢印を記したところの地名も「道合」である。「道合」は文字通り、道の落ち合う場所、分岐点の意味である。矢印で指し示すように、ここには三叉路が二カ所あり、明治以前の村名で「上野田村」からの行く先を見てみると・・・。北側の三叉路は「土崎村(旧千畑町千屋)」、「高梨村(旧仙北町高梨)」、「払田村(旧仙北町払田)」に通じ、南側の三叉路は「安城寺村(旧千畑町畑屋)」、「中野村(旧千畑町畑屋)」に通じており、ここはまさしく「道合」である。
(終わり)
●これまで歩いたログの累計(累計の道のり:524.6km)
緑色が今回のログ。「大仙市」と「美郷町」の境界付近である。次回は今回の東隣、「丸子川」沿いの「旧千畑町畑屋」を歩いた記事を掲載する予定です。
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