●歩いた日:2017年3月17日(金)
●歩いた所:大曲川原町、船場町、緑町、あけぼの町、金谷町、花園町、浜町
●歩いた位置
●歩いた足跡(ログ)(道のり:8.1km)
(以上の地図:国土地理院)
以前にブログに掲載した「旧大曲市大曲を往くー1」で、S23年の航空写真に大曲市街のすぐ脇を流れる「雄物川」が写っておりました。大きく蛇行していた「雄物川」は、街から少し離れた西側に付け替えられ、そのことによって、かつて、川筋、川原、それに川向うの田んぼだった地は、昔からの市街地に接していることもあって、急速に開発が進み一変してしまいました。
「大曲―1」の記事を書いて以来、是非ここを歩き、どこかに昔の面影が残っていないか、探してみたいと思っておりましたので、3月のウオーキング日和の日を選んで出かけてみました。
本文に入る前に、まず、昔のこの辺の航空写真(国土地理院)を見ていただきたいと思います。
S51年の写真から。
中央が「雄物川」、上が「丸子川」。「丸子川」に架かる左側の橋が「大盛橋」で、この橋を通る南北の道が昔の国道13号線(現県道36号線)。少し曲がりくねって、この道の西側に並行して走る水路(写真では細い緑のベルト状に見える)が、改修前の「雄物川」の右岸に当たるラインです。「雄物川」は「大盛橋」のすぐ下流で「丸子川」と合流しておりました。
S51年当時、この地はすでに住宅団地が形成され、市営の球場が設置されておりますが、まだ田んぼが広がっております。
「雄物川」左岸の河川敷に茶色に土が露出しているところが、花火の打ち上げ場所、その対岸一帯が数十万人の人が集まる観客席になります。
さらに古い航空写真と対比しやすいように、目印となるポイントに番号を振ってみました。
1→家がかたまっている杉木立、2→三叉路と家屋、3→2から少し離れた家、4→街はずれの杉林、5→橋沿い木、6→川向うの集落(地図の「中道地」)、それに橙色と青の線で囲んだ位置に注目してほしいと思います。
そのうえで、S23年の写真をご覧いただきます。
「雄物川」は大きく蛇行して、かなり広い川原を伴っております。
ついでですが、右側、「大曲駅」から「丸子橋」を通ってまっすぐ南に延びる道の西側に「大曲小学校」、東側に「大曲高校」、突き当ってすぐ西側に「大曲農業高校」がはっきり写っております。
二つの写真を並べてみると、それぞれの位置が明確にわかります。4の杉木立は川原に突き出すような位置にあり、5の木は流れの岸にあります。S51年の写真に写る大きさから、この木がだいぶ大きくなったように見えますが、現在は無くなっています。
青で囲った広い木立の中には、よく見ると建物が写っております。この位置を、S51年の写真で推定すると河川敷に当たり、移転したものと思われます。
また、S51年の写真では家屋敷が連なっている橙色のところには、当時、一面の田んぼになっております。ここに移転したのでしょうか(聞けばすぐわかりますが、想像することも楽しいことです)。
なお、「大盛橋」から少し南に下った十字路から「雄物川」岸に道があります(現在もありますが)。その対岸には、6の「中道地」方面から1の杉木立を通って川岸に至る道、写真上方の「雄物川」南岸沿いを通って川岸に至る道がありますので、この辺りが渡し場であったことが偲ばれます。
工事中の航空写真(S38年)も見つけましたので、かなり見づらいですが掲げておきます。
写真中央、新しい河川敷内に青で囲んだ木立の家屋敷を確認することができます。
(前置きがかなり長くなりましたが、次回から本文に入ります。)
(その2に続く)
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