ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧太田町長信田を往く―4②

2023年12月31日 | 旧太田町を往く

<「豊後町」の風景>

●歩いた日:2023年12月25日(月)

●歩いた所

・斉内(長信田): 橇目、豊後町、南開、小曽野、杉元、胡桃台、諏訪田、樋口、段ノ腰、宝竜、長者森、河原田、高田、下斉内、天神堂、中田、北開、鶴ヶ窪、狐塚

・国見(横 沢): 川端、大釣木、新橋、小釣木、砂溜

●歩いたログ(足跡)(道のり8.3km)


 (以上の地図:国土地理院)

 さらに少し進み、行く手を望む。

📸001:「豊後町」の風景

 県道左手(北側)奥に「豊後町」の家々。県道沿いにはもう少し先でないと家が建ち並んでいないので、この辺りの古い道筋は、県道北側の家々が連なっているところであったのだろうか。

 左手に延びる道の脇に「北開工業団地」の看板が立つ。ログ地図にも「斉内川」に近いところにひと際大きな文字で工業団地の表記がある。「斉内川」の氾濫原で田んぼに適さない場所を活用して工業団地を造成したようだ。

 古いかもしれない道を歩いてみたいと思い、看板のところを左折していったん県道を離れ、すぐ右折して「豊後町」の家並の道を行く。

📸002:「豊後町」の一角

 奥から来たところ。細い道の両側に家が建ち並ぶ。

 「豊後」という地名は「豊後野」(「花館」、「神宮寺」)、「豊後谷地」(「横堀堀見内」)などに見られる。「地名へのいざない」によると、「分郷」から出た地名で、本集落から分離、独立した小集落の説が有力とあるが、ここ「斉内」の「豊後町」は「豊後の国」(「九州」)の人たちが土着した場所ともいわれている、とある。

 角から南に向かい、再び県道に出る。

📸003:「小曾野」の一角

 右手から県道に出て来たところ。

 写る家は「豊後町」であるが、バス停には「下小曽野」とあり、歩いて来た道が「豊後町」と「小曽野」の境のようだ。

 県道奥左手の大きな建物は、📸001にも写る建物で、そのすぐ向こうで県道を離れ、「豊後町」の家が建ち並ぶ道を来て、再び県道に戻ったところである。

 ここから県道沿いには「小曾野」の家々が連なる。その家並を眺めながらしばらく東に進む。目を引き付けられた小屋がある。

(「小曾野」の一角2)

 なかなか味のある板壁である。塗装をしたのでこんな色合いになったのだろうが、いかにも長い年月、風雪に堪えてきたという感じが出ている。立て掛けてある木材の色合いと対照的である。

 壁の際に古くなった子供の三輪車が置かれている。これに乗って遊んだ子供は今何歳になったのだろうか。

(③に続く


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