<「向野」、「十二田」を望む>
●歩いた日:2024年2月17日(土)
●歩いた所
・豊 受(豊川)中野、上野
・栗 沢(豊岡)柏木野、向野、本宮、宝量、社前
・大神成(豊岡)野中、坊谷地、十二田
●歩いたログ(足跡)(道のり7.3km)
(以上の地図:国土地理院に加筆)
(📸005から)水路にかかる橋まで引き返し、橋を渡ってまた東に行くとまもなく「県道50号」に出る。今度は北側から「堀口橋」を進む。橋の中ほどから下流(西)を望む。
📸006「堀口橋」から「斉内川」下流を望む
いかにも冷たそうな澄み切った水が流れる。
川両岸の河川敷がきれいに整備されている。前に書いたように、川の右岸、北側が「栗沢河川公園」、左岸、南側が「斉内川河川公園」である。暖かい季節に孫を連れて来て、川遊びをさせるには絶好の場所のようだ。
橋から引き返し、県道を北に向かう。
📸007:「堀口橋」のたもとから北を望む
先ほどは左手のあぜ道から「県道50号」に出て来たところ。
その道端に大きな石碑が建つ。石碑には「清流不息」と刻まれている。「不息」という言葉は辞書には見つからないが、「清流・命の水が休まず流れる」という意だろうか。石碑の裏を見ると、「仙北平野」や「田沢疎水」の用水路のさらに東側、「東山」の麓を南北に走る「第二田沢開拓幹線用水路」(ログ地図の右端に青の実践や破線で描かれている)と、地域の用排水路等を一体的に整備した工事の完工を記念して建てられたとある。
北を望んだ県道の左側は「栗沢」の「柏木野」、右側は「大神成」の「野中」である。
奥に見える集落を目指して進む。
📸008:「大神成」の集落を望む
「東山」の麓に近くなるにつれて、どんどん高くなっていく棚田のような田んぼの向こうに、山の懐に抱かれるようにして「大神成」の家々が連なる。
「大神成」は「明治」の立村・合併(M22年)以前の「村」であるが、ログ地図で分かるように非常の大きな集落である。この山の麓になぜこんなに大きな集落が形成されたかは、ここを歩いた時(この3月に歩いた)に探ってみたい。
さらに北に向かうと十字路がある。
📸009:「向野」、「十二田」を望む
この十字路を左に行くと、「豊川を往く-3」で歩いた「喜内野」に至る。
写る家は、手前は県道左手が「向野」、右手が「十二田」、奥は「社前(シャノマエ)」である。
写真に写る手前の家を過ぎてさらに行くと、小さな川がある。
📸010:「十二田川」
橋のたもとに「十二田川」と書かれた看板が立つ。こんな小さな川であるが、山麓に位置するこの地域にとっては、貴重な水源であったに違いない。
ところで、ここの地名も「十二田」である。「地名へのいざない」によると、「十二」は山の神のことで、「十二様」は1年に12人の子を産む女の神様という。「十二」、「十二田」という地名のほか、「十二ケ沢」、「十二木」、「十二ノ前」など「十二」にまつわる多くの地名があるようだ。
また北に進むと右手に墓地がある。墓石を見ると「榊田」姓の墓が多い。共同墓地ではなく一族の墓地だろうか。
(④に続く)
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