ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧大曲市大曲を往く-4(街中歩き)(その7)

2020年02月27日 | 旧大曲市を往く

<「栄町」の「大曲高校」辺りの通り>

●歩いた日:2019年12月9日(月)

●歩いた所

 ・大曲:通町、中通町、黒瀬町、大町、上大町、栄町、上栄町、日の出町、金谷町
  ※ いずれも新町名である。正式には町名の前に「大曲」が付く。

●歩いたログ(足跡)(道のり5.8km)

(以上の地図:国土地理院)
※ 市街地で見づらいですが、ご容赦願います。

 「上栄町」の町内会館前で一休みした後、旧「羽州街道」を北に向かう。少し進むと「大曲高校」の正門と校舎が見えてくる。
📷011:「栄町」の「大曲高校」の辺り

 道の右手に見える大きな石柱が正門の門柱である。陰になって見づらいが、奥の門柱脇に女生徒が二人、何やら話し込んでいる。
 「大曲高校」の歴史も調べてみと、M41年に「大曲女子技芸補習学校」として創立されたとあるので、「大農」同様かなり古い歴史を持つ。設立当初は私立だったのだろうか、その後「大曲町立」、「仙北郡立」へと移管され、T12年には「県立」となって名称も「大曲高等女学校」となったとある。私の母親はS3年生まれだが、「女学校に行きたかった」とよく口にしていた。
 戦後のS23年に学生改革によって「大曲高等学校」となり、男女共学になったようだ。「大曲高校」と言えば、女子バスケットボール部がかつて(S40年代)に全国大会で何度も優勝・準優勝したことが強く記憶に残っている。
 少し進んだ高校前で再び行く手にカメラを向ける。

(「栄町」の「大曲高校」の辺り2)

 右端の木は高校の敷地に茂る木である。道の左側に昔の町屋風の家が建ち、なんとなく古い街道の風情を醸し出している。
 さらに北に進むと道がやや狭くなる。やがて道の左脇に高い木がある。

(「栄町」の「大曲一里塚」跡)

 木の下に白い標柱が立ち、「大曲一里塚跡」とある。この辺りに一里塚跡があるのは知っていたが、この日歩いた時には、うっかりこれを見逃してしまい、この写真は後日に撮ったもの(空が曇っている)。
 近づいて標柱を見ると、説明書きはあるもののほとんど文字が消えて読めない。木の下には駐車場の看板も立ち、周りは舗装された私有地のようだが、一里塚があった場所だけは残されたようだ。なお、ほかの資料によると「米町の一里塚」ともあり、この辺りはかつての「米町」だったようだ。この先はすぐ「大曲駅場」に当たるので米を扱う商人がいて、そのことが地名の由来になったのだろうか。
 さらに進む。「栄町」から「上大町」に変わる辺りでカメラを取り出す。

📷012:「栄町」、「上大町」の通り

 右手手前に写真館の看板を掲げた古い建物もあるが、この辺りには真新しい家も多い。道の右側は「栄町」、左側は「上大町」のようだ。昔の街道らしく微妙にカーブしながら奥(北)に延びている。
 さらに進むと道幅が次第に狭くなって、最後は車の進入が禁止されている細い道を抜け、📷006の「大町」の十字路を東西に走る「寺町線」に出る。

(その8に続く)


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