●歩いた日:2018年12月2日(日)
●歩いた所
・六郷:往還南、小安門、大町、上町、米町、馬場、新町、赤城、白山、荒町
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)
(以上の地図:国土地理院)
(言 訳)
「P」の東側に2本の赤いログが描かれております。上がスタート直後のログ、下が車に戻る直前のログで、同じ道を歩いたので重なるはずなのに、少しずれて描かれております。GPSは、スイッチを入れてから衛星を捕捉するまで少し時間がかかりますが、この時は十分捕捉する前にスタートしてしまったため、その直後のログがずれてしまったと思います。ちなみに、しばらく進むとログと地図の道筋が一致しております。これからは忘れずに衛星の捕捉状況を確認してから歩き始めたいと思います。
2019年(平成30年)もいよいよ最後の日となりました。歳をとったせいか、ますます月日の経過が速く感じられるようになりました。ブログを開始して2年余り、今年も何とか続けることができました。私の拙いブログを読んでいただいた方々には心から感謝を申し上げます。ブログに掲載した延べの道のりは360kmほどですが、歩いていない地域はまだまだあります。ふるさと「仙北平野」を歩き尽くしたと感じるには、1000kmは歩かなけれたならないと思っております。来年もコツコツ歩き、ブログに掲載していきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、前回の「角間川」に続いて、またまた「六郷」の街歩きを掲載します。「平野」から連想される「ムラ」歩きが「街」歩きになってしまった感じです。街歩きの記事を掲載するとアクセス数が少し多くなるようです。当然のことながら、農村集落よりも街部の方が人口密度が高いので、その分、関心を寄せてくださる人が多くなるせいかもしれません。
今回は「旧六郷町六郷」の6回目で街の南側を歩いた記事です。まだ街の南東部辺りが残っておりますので、7回目にそこを歩くと街をほぼ歩き尽くすことになります。「六郷」の街が大きいことを実感しております。
それでは本文に入ります。
「大曲」方面から「六郷」に向かうと、街の西外れ、国道13号線から少し入ったところに、以前立ち寄った「側清水地蔵尊」がある。そのすぐ近くに空地があるのでそこに車を止める。車を降りて地蔵堂に目をやると、何本ものローソクが明々と灯されており、私が見ている間に二組の参拝者が車で訪れた。参拝者がローソクを灯していくようなので、本数から察するとかなりの参拝者があるようだ。みんな何をお願いしに来るのだろうか。
地蔵堂のすぐ奥にある「側清水」をのぞいた後、車を止めたところからまっすぐ東に延びる道を進む。しばらく進むと、左手に広い駐車場をもつ大きな建物がある。「JA秋田おばこ」の米倉庫と野菜集出荷施設である。その前で振り返ってカメラを取り出す。
📷001:「往還南」の道
道の右側は「往還南」である。写真のすぐ右手奥(北側)を昔の国道13号=「羽州街道」が並行して走っており、その南側一帯が「往還南」なので、「往還」は「羽州街道」を意味するのであろう。
道の左側は「小安門」である。ここから西に数百メートル行ったところ(写真の右手奥)に、かつて「六郷城」があったので、「小安門」は城に因む地名と思われる。
道奥左手に赤い屋根の建物があり、その上に木立がのぞいている。「側清水」と地蔵尊の場所である。
JAの施設のすぐ先の十字路を左に折れて少し進むと、バス通りである「羽州街道」に出る。街道を東に行くと右手に「ニテコ清水」と書かれた大きな看板があり、その奥に趣のある建物が建つ。
(「大町」の「ニテコ名水庵」)
「ニテコ清水」は、数多くある「六郷」の清水の中でも最も有名な清水である。「名水庵」はその清水を使った料理を提供するレストラン。
「ニテコ」と云えば、子供の頃から知っている「ニテコ(仁手古)サイダー」。調べると大正時代から作られているとある。「名水庵」の右奥の建物がそのサイダーの製造所。「名水庵」で飲む「ニテコサイダー」は190円、持ち帰りは155円ともある。
その間の通路を奥に進むと清水がある。
(「ニテコ清水」)
六角形のきれいな柵で囲まれているところが清水。看板には、明治天皇御巡幸のときにここの水を差し上げたことから「御膳水」として知られている、とある。
中央の鳥居には「似手古神社」と書かれており、その奥にある社殿は冬囲いされている。さらにその奥は「手づくり工房 湧子ちゃん」の建物である。
(その2に続く)
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