ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧六郷町六郷を往く-6(その2)

2019年01月03日 | 旧六郷町を往く

●歩いた日:2018年12月2日(日)

●歩いた所

 ・六郷:往還南、小安門、大町、上町、米町、馬場、新町、赤城、白山、荒町

●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)

(以上の地図:国土地理院)

 「ニテコ」の清水、鳥居の脇を通り抜け、「湧子ちゃん」の正面に出る。

📷002:「手づくり工房 湧子ちゃん」

 

 かなり大きな建物で、「手づくり工房」とあるように、サイダーやお菓子などの製造を行いながら、町の特産品の販売も行う施設である。「六郷」には、以前のブログに掲載した「名水市場 湧太郎」(「馬町」)がある。こちらは酒蔵を改修した施設で、ホールや資料館、レストランを併設しており、いずれも清水にちなんで命名されている。

 奥に聳える高い木は、前掲写真の清水脇の木である。

 「羽州街道」に戻り、家並が続く道をまた東に進む。少し行くと道右脇に白い標柱が立つ。

📷003:「大町」の「六郷駅御本陣跡」

 

 標柱の説明に「参勤交代では佐竹氏、津軽氏などの大名が六郷駅を通過し、ここを本陣としていた」とある。「津軽氏」が出ているので、にんまりとしてしまう。

 元々は「南部氏」の支族だった「津軽氏」は周辺の豪族を倒して領地を広げ、秀吉が天下統一を進めている時に中央工作を行って豊臣政権から「南部氏」と同等の大名として認められた。このことによって「南部氏」と犬猿の仲になり、参勤交代時は決して南部領を通らず秋田領を通ったということを思い起こしたからである。ところで、現在の「青森県」は西半分がかつての「津軽領」、東半分が「南部領」で、何かと「津軽」と「南部」という構図で対抗意識が続いてきたという話を聞いたことがある。以上余談でした。

 本陣跡と思われる敷地には現在普通の民家が建っており、標柱の隣に植えられている、まだ若い一本の松が、ここが本陣跡であったことをわずかに偲ばせてくれるような気がする。

 さらに東に進む。「上町」に入ったところに、左手に「JA秋田おばこ六郷支店」、続いて「六郷郵便局」がある。郵便局を通り過ぎるとすぐ左手にまた標柱がある。

(「上町」の「六郷伝馬役所址」)

 

 「六郷伝馬役所址」の標柱である。「本陣」の方は「跡」の、「役所」の方は「址」の字が使われている。建造物のあとには「址」とも書くとあるので、公の大きな建物を意識した使い分けだろうか。伝馬役所は、貨物の継立輸送、旅人の世話、市場の管理などの幅広い機能を持ち、それに伴って、問屋場、倉庫、厩などを有していたとあるので、相当大きな施設であったと想像される。

 さらに東に少し進んだところで振り返る。

📷004:「上町」の「羽州街道」

 

 「羽州街道」を西にのぞんだところ。道右手に郵便局の看板が見え、その奥にJA六郷支店の大きな茶色の建物がのぞく。

 左端に写る桜の木の奥はかつての「六郷町役場」で、現在は「美郷町商工会」やシルバー人材センター(電柱脇に看板がある)などが入っているようだ。

(その3に続く)


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