●歩いた日:2018年12月21日(金)
●歩いた所
・本堂城回:城方小屋、百目木、道尻、館間、北館、田町
・土崎 :厨川谷地、北小屋、厨川
・払田(旧仙北町高梨):念仏谷地、大谷地
・板見内(旧仙北町横堀):百目木、千刈田
●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)
(以上の地図:国土地理院)
さらに西に進み、車のやや手前で東を振り返る。
📷014:「厨川」から東を望む
先ほどまで姿を現していた「真昼岳」の頂上付近には雲がかかっている。
道の左側、手前の赤白のポールの左奥にある茶色の高い木のところからこの道に出、手前に来たところ。
道奥の「東山」に大きな沢が見える。この道をどこまでも東に詰めて行くとその沢に至る。沢を峰越林道が通っており、尾根まで車で行くことができる(土砂崩れでなどでよく不通になるが)。尾根に登山口があり、尾根伝いに1時間半ほどで「真昼岳」に行くことができ、「仙北平野」を眺望するには絶好のコースである。
そこだけ幅広くなった道の端に止めた車に戻り、家に向かう。
最後にまた航空写真をご覧いただく。一枚目はいつもとは反対に古い写真から。
(S23年-1)
この写真を見ると、当時、この地域には四角い田んぼが整然と連なっている。本文にも書いたが、「払田の柵」の柵木が最初に発見されたのは、M35年頃、「千屋」地域において耕地整理が実施された際でとのことなので、その頃すでに工事に着手されていたのだろう。耕地整理が済んでいるので、道は現在とほとんど変わりがない。
しかし、「矢島川」は未改修で激しく蛇行している。「百目木」の辺りを見ると集落の中を川が蛇行して流れている。本文に「家が建っている中をかつて川が流れていたとは考えにくい」と書いたが、この写真を見ると川が流れていたことがわかる。
右上に「本堂城跡」がくっきり写る。そのほか、「ノウゼンカズラ」が絡まった小屋のある家、「本堂町」に向かう道から南に折れた角にある一軒家、右下には欅と思われる大木も確認できる。
また、これも本文に書いたことだが、大木が茂る家を含めて、東に延びる真っすぐな道(現在の県道)から北側に離れた位置に家々が点在している。田んぼの耕地整理以前にはこれらの家々をつなぐように曲がりくねった(未整理の地域の航空写真でよく見られるような)道が通っていたと想像される。
下段中央の、車を止めた黄色部分の道筋が、曲がり具合をみると現在と微妙に異なっており、その後、この部分を改修したことがわかる。
なお、今回歩いたところではないが、左端、「真山」の麓にきっちり整備された「池田家払田分家」の庭園が写る。
次に、「百目木」、「本堂城跡」の辺りを拡大したS23年の写真。
(S23年-2)
まず「百目木」の集落に注目いただきたい。川岸に連なる木々をたどって「矢島川」の川筋を水色線でたどってみた。改修後の現在の川筋は紫線である。すると、ログ地図に描かれている(やや見づらいが)現在の「旧千畑町千屋」と「旧仙北町横堀」の境界とぴったり一致する。蛇行していた川が境界線であったことがわかる。川が改修されて、水色と紫の線に囲まれた「旧仙北町」の部分が「旧千畑町」に食い込んでいるような形になった。
右上の「本堂城跡」の内館跡はパッチワーク状の模様で、畑が作られているようである。内館には右上と左下の部分に木立が茂り、その場所は現在と同じであるが、左下の木立は当時は南に開いたコの字状に並んでいたことがわかる。コの字の中には何らかの建物が建っていた場所だったろうか。
(その8に続く)
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