●歩いた日:2018年12月21日(金)
●歩いた所
・本堂城回:城方小屋、百目木、道尻、館間、北館、田町
・土崎 :厨川谷地、北小屋、厨川
・払田(旧仙北町高梨):念仏谷地、大谷地
・板見内(旧仙北町横堀):百目木、千刈田
●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)
(以上の地図:国土地理院)
白鳥を眺めながらさらに東に向かうと前方の道沿いに「道尻」の家々がある。近づくと一番手前の家は廃屋のようで、道端の崩れかけた小屋の板壁にびっしり蔓状の枝が張り付いている。
枝を見ると、我が家の庭にもあって毎年橙色の花を咲かせる「ノウゼンカズラ」のようだ。この花木は夏の間に新しい蔓状の枝を多く出してどんどん伸ばすので、こまめに切らないと藪のようになってしまう。写真の「ノウゼンカズラ」は何年も放っておかれているのであろう、板壁が見えないほどに枝が密生している。それでも、夏になると涼しげな花を咲かせると思われる。
また少し進むと「本堂城跡」の案内板があるので、それに従って左折する。「館間」に向かって北に行くと、やがて右側の家並が途切れたところ(ログ地図で「館間」と記入されている位置)に、城跡と思われる土地が広がっている。
(「本堂城跡」)
少し小高い広々とした土地に木立が点在し、その下には小さな社が建つ。城の痕跡らしいものはないがいかにも城跡らしい風情である。
手前の杉木立の左側に立つのは案内板のようなので、そちらに向かう。
📷008:本堂城跡2
こちらが城跡への入口のようで、「本堂城跡」の標柱も立つ。前掲写真を反対側から写した城跡の眺めである。案内板の近くに寄ってカメラを向ける。
これによると「本堂城」は、もとはここから東に6kmほど離れた「東山」の裾にあった山城(「元本堂城」)だったが、天文4年(1535年)にこの場所に移ったとある。「常陸国」に国替えになったのは慶長2年(1602年)とあるので、ここに城を構えたのは70年足らずということになる。
左上の図を見ると、写真の城跡は土塁や内堀で囲まれた内館跡で、その外側には外館があったようである。
(その5に続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます