ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧千畑町畑屋を往く-3(その4)

2022年07月15日 | 旧千畑町を往く

<「横関橋」と堤防沿いの木立の風景>


●歩いた日:2022年6月11日(土)

●歩いた所

 ・上野田(旧仙北町高梨):道合、水口、川端

 ・安城寺:太田、島田

 ・中 野:沖田、足掛、砂館、打上、川原

 ・土崎(旧千畑町千屋):久保田

 ●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)


(以上の地図:国土地理院)

 橋のたもと(📷009の位置)から「鞠子川橋」を望む。

(「県道11号」の「鞠子川橋」)


 「県道11号」は通称「角六線」で「仙北市角館(旧角館町)と「美郷町六郷(旧六郷町)をつなぐ幹線道路である。

 昔々、「横手」から北上する旧「羽州街道」は、「六郷」で、「角館」に向かう「上街道」と、「大曲」に向かう「下街道」に分かれていた。その「上街道」が現在の「県道11号」であるが、「江戸時代」の初期は「下街道」が開通しておらず、「上街道」が現在の「秋田市」に向かう唯一の街道だったようだ。

 予断だが、幹線となるような道路の橋には川の名称が付けられるようだ。ここが「鞠子川橋」で、「大曲」の街の、昔からのメイン通りの橋は「丸子橋」である。

 橋のたもとから川下方向を望む。

(「鞠子川橋」のたもとから川下方向を望む)


 橋のたもとから川下の方へは堤防の高さと同じ舗装道路が伸びており、道沿いは欅並木になっている。

 欅で日陰になっているところを歩いて行くと、並木が途切れた辺り、道の左手に「丸子川頭首工管理事務所」の看板を掲げた建物(写真左端の建物)がある。川には頭首工の上部が堤防越しにのぞいているので、川原に行ってみる。

📸010:「丸子川頭首工」


 頭首工は川から灌漑用水を取り入れる施設である。中央にある三つの桝のような形のところが取水口で、ここから取り入れられた水は堤防と道の下を横断し、用水路を流れ下っている。スタート直後、📷001のところで越えた水路はこの用水路である。

 道は次第に堤防から離れて西に延びている。そこを歩いて行くと、道の左側(南側)から堤防までの間に大きな建物が何棟も建ち並び、「山崎ダイカスト株式会社」の看板が掲げられている。

 調べると、「ダイカスト」とは、溶かした非鉄金属(この会社では主に亜鉛・マグネシウム・アルミニウム)を金型に注入し、瞬時に製品を成型する鋳造方式のこと、とある。時代の先端を行くような「山崎ダイカスト」の工場が「美郷町」にあることは聞いていたが、それがここだとは初めて知った。

 大きな建物を眺めながら西に進むと十字路がある。その傍らから来た方向を眺める。

📸011:「川原」の「山崎ダイカスト」の工場


 奥から大きな建物の間を抜けて来たところ。右手のサイロのような建物に「液化窒素」の文字が見える。製造工程で使用するのであろう。

 写る水路は、頭首工から取水した水が流れる用水路。

 同じ場所から北にカメラを向ける。

(「久保田」の橋と堤防沿いの木立)


 十字路脇に「ここは土崎字久保田です」の案内板が立つ。「土崎」は「丸子川」の北側の大字だが、南側のこの一角も「土崎」である。昔の村境であった「丸子川」の蛇行の名残だろう。

 橋のたもとまで行ってみる。橋は「横関橋」である。「横関」は橋の北東地域の地名のようだ。

 写真の木立は堤防の外側に生い茂っているが、そこも河川敷なので伐採されずに残っているのだろうか。

(その5に続く)


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