<「払田田の尻」から「東山」を望む>
●歩いた日:2020年1月18日(土)
●歩いた所
・高梨:麻生田、米打橋、新屋敷、上り場、上川原、繁昌、上高梨
・払田:下払田、下川原、田ノ尻
●歩いたログ(足跡)(道のり6.2km)
(以上の地図:国土地理院)
📷010の地点から道は南にカーブし、その先に橋が見える。橋に近づいて行くと、「丸子川」のすぐ手前に大きな水路があり、そこに架かる橋と「丸子川」に架かる橋を渡ったところでカメラを取り出す。
📷011:「田の尻」から東を望む
「丸子川」を渡ったところは「田ノ尻」である。左手のこんもりと茂る木立のところは墓地のようだ。中央に「真昼岳」。
南に少し進むと「繁昌」に入り、やがて東西に走る道に突き当たる。
その道を東に少し行って東を望む。
📷012:「繁昌」から東を望む
右手奥に「真昼岳」。その下に連なる家並はログ地図に記してある「上野田」の集落のようだ。そこの子供たちもこの道を西に歩いて「高梨小学校」に通うので、その安全を期して道に青緑の線が引かれている。「上野田」は次の機会に歩くことにして引き返し、西に少し進んだところで振り返る。
📷013:「上高梨」の一角
道脇に見えるカーブミラーの少し奥のところに左手からこの道に出、いったん向こうへ進んでから引き返して来たところ。この辺り、道の右手(南側)は「上高梨」である。
その道の右沿い石造りの建物がある。倉庫だろうか。「仙北平野」で石造りの建物を初めてみた。
また西に少し行くと、道端にまた面白い建物がある。
(「繁昌」の一角)
二階部分に分厚い扉が開いており、明らかに蔵である。その蔵を保存するとともに拡張したのだろうか、側面に鉄骨を立て壁を建材で覆い、屋根上が増築されている。
また西に進むと、左手(南側)の田んぼ中に白い標柱が見えるので、そこに向かう。
(「万千代姫」、「繁昌」由来の標柱)
近づいてみると「真澄の道」の標柱で、「万千代姫の栖家迹」とある。側面には「高梨の郷は万千代姫左遷の地」、「万千代邑が繁昌に変遷」(反対の側面)の記述。「万千代姫」はどこの国の姫だったのだろうか。その「万千代(マンチヨ)」が転化して「繁昌(ハンジョウ)」の地名になったとの話。少し無理があるような気もするが、それにして「繁昌」という地名は珍しくて面白い。
(その5に続く)
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