山歩き 山滑り

山遊び中心のブログです。

南国から帰ってきました

2009-02-01 22:14:12 | 


 会社の旅行で赤道を越えてバリに行っていました。

 現地は雨期の最中でしたが、概ね良い天気、南国リゾートを満喫出来ました。

 賄賂、値段交渉、貧富の差、無法な交通事情等々、発展途上国のリアルな現実も垣間見る事ができ、為になる旅行でもありました。

 しかし、本当に物価は安いです。滞在中1万円で済みました(笑)



山男、海に行く

2006-05-27 22:17:19 | 


 22日~27日まで社員旅行でハワイに行ってきました。

 今回でプライベートも含め6回目となるハワイ旅行。忙しいツアーを避け、スローライフを満喫してきました。ただ、6回目にして初めてダイアモンド・ヘッドに登頂。しかも2回も登ってしまいました(笑)
 

かなり昔のアメリカ放浪記・ボクシング編

2006-02-22 00:27:31 | 

 何を隠そう自分は大学の時、体育会ボクシング部に所属していた。今回の旅の相棒も同じボクシング部の同期生。当然の事ながらアメリカ、ボクシングと来れば行く場所はラスベガス。シーザース・パレス前で記念撮影。

 自分たちがベガスに訪れた頃は11月の半ば頃。そうボクシングファンならご存知かもしれないが、89年の12月にこの地で80年代最後のビックファイトがあったのだ。WBC5階級制覇の偉業を成したスーパースター シュガー・レイ・レナード 対 「石の拳を持つ男」ロベルト・デュランの因縁のカードである。ちなみにアメリカでは放映権が高すぎて、有料チャンネルでないと生では見れなかった。(日本は東京12チャンネルで放送)その為、この試合を見たのは1月になってからである。

 ラスベガス(ネバダ州)は州税が他の州より安く、ホテル、食事などもかなり安い。実に居心地がよく何日かモーテル住まいで過ごしていたある日、街中でばったりロベルト・デュランに遭遇する。突然の事で握手してもらう事が精一杯、一緒に写真を撮ってもらえばよかったと後で後悔した。しかし、実物は自分の想像より小柄で、不意を付けば一発ぐらいパンチが当るかもしれないと、ちょっと思った。(笑)実に感じがいい人でレナードも好きだったが、この時は彼に勝って欲しいと思ったほどである。

 この時代(80年代)のボクシング界にはスーパースターが多くいた。
レナード、デュランもそうであるが、この男に勝てる奴なんか居るのかと思うほど、全てにおいて無敵だったマーベラス・マービン・ハグラー、そのライバル、トーマス・ハーンズ、いつもワールド・ボクシングは楽しみに見ていた。(ジョー小泉さんの解説もなかなかイケていた)そんなボクサーの中で自分的にはへクター”マチョ”カマチョがお気に入りのボクサーであった。彼のスタイルにはブーイングを呼ぶ所もあるが、とにかく凄いスピード、トリッキーな動きで観客を沸かせ、実に楽しい試合であった。日本の選手でいうと辰吉丈一郎が今までの中では一番スタイルが似ているかな?

放浪記からは横道にそれてしまいました。
ラスベガスについてはまだまだ面白い出来事が多々あるので、また次回書こうと思っています。

やっと腰も良くなりましたので、スキーに復帰します。と言う事なので次回放浪記はしばらくお休みします。


かなり昔のアメリカ放浪記・スキー編

2006-02-16 00:00:42 | 

 ニューヨークに何日か滞在した自分たちは、西海岸へ向けて移動する為グレイハウンズに乗り込み、大陸横断をする事にした。

 車中泊に飽きてきた為、途中デンバーでバスを降り宿を探す。愛読書「地球の歩き方」を参考に、今回の旅初のユースホステルに泊まる事になった。

 このユースホステルのオヤジが実にフレンドリーな人で、色々と面唐ゥてもらい、ここに何泊かしていたのだが、オヤジの勧めでここからそれほど遠くない、ウインターパークに行ってみる事にする。

 ここはアメリカでは中規模のスキーリゾートだそうであるが、日本のスキー場からするとかなり大きい。宿はここでもユースホステルに泊まり、イギリス、オーストラリアから来た旅行者と一緒になり、スキー場でも一緒に滑る事になった。

 体育会系の自分たちは種目が違うとは言え、外国人に負けるのはプライドが許さず、気合を入れて滑ったのは言うまでも無い(笑)

 この町で感じたことは、アフリカ系アメリカ人やプエルトリコやメキシコなどの南米の人をほとんど見なかった事である。なんとなく白人の町という感じがした。

 スキー場の記憶が今ひとつさだかではないのですが、コースもいっぱいあり、楽しかった事だけは憶えています。
もう一つ印象深いのは、障害者のスキーヤーが多く居た事。車椅子にスキーをつけて滑っている方なんかが多く居た。
障害を持った方が社会に出て活動している事はごく当たり前で周りの人も必要以上に手を貸さず、なんか実に良い受け入れ方だな~と感心した。

 サンフランシスコに滞在中もそれほど遠くないレイク・タホに行きたかったのだが、こちらは行く事が出来ず、今思うと惜しい事をした。
テレマークスキーを始めた今、また行ってみたい場所である。


かなり昔のアメリカ放浪記・車編

2006-02-15 00:02:00 | 

 この放浪記を書くにあたって写真を整理していると、車の写真が多く出てきた。

 当時、自分はフォルクスワーゲン・ビートルに乗っていた。この時期はワーゲンと言ったらビートルを指しMINIと並んで、愛好家が多かった車である。水平対向4気筒エンジン通称FLAT4から奏でるエンジン音は独特であり、乗ってみると実に楽しい車であった。

 ビートルにも色々なスタイルがあり自分は「CAL Look」と言うカリフォルニア風のチューンをしようと、思っていた。その参考にと、アメリカ滞在中はビートルの写真をよく撮っていたのである。







 ドラックレーサー風やオフロードタイプまで色々なビートルが走っていた。エンジンカバーを付けていないのは、雨の少ないカリフォルニアだから出来る事か?

 旅行中気が付いたことなのだが、西海岸と東海岸では車の種類が違っていた気がした。西海岸はホンダが圧涛Iに多い。東海岸ではトヨタの方が多かった。それと車のCMも凄い。ちょうど日産のフェアレディZの新型が発売されてすぐの頃だったのだが、CM中、前を走るャ泣Vェをパッシングして抜いてしまうというシーンがある。他社の車を出すCMと言うのは日本では見たことがなく、面白かった。

 実に感心したことは、スクールバスに対する気遣いや、緊急車両への対処が日本とはぜんぜん違う事であった。信号機も街の中心部にはあるが、郊外にはほとんど無い。譲り合うと言う事が徹底されている。さすが車先進国、車のマナーは実に良い国であると感じた。

 おまけ


ナイト2000 
よくテレビで見ていたんだよな~この車。



デロリアン
この車は欲しかった。自分はやはり過去の自分に会いに行くな。