昨日のテレジャック 2006-02-26 22:51:17 | テレマークスキー ずっと天気が良くない予報が変わりなぜかこの日だけいい天気。 日中のゲレンデは家族連れで賑わい大盛況。その中をテレマーカーが少しずつ集まり出し、ナイターが始まる頃にはかなりの参加者が滑り始めていた。 人の繋がりとは面白いもので、誰かしらが誰かしらと繋がっている。テレマークの世界が狭いって事か? 今回も30数人の参加者、楽しい時間が過ごせました。 テレジャックが終わると春スキーのシーズンです。 皆さん今度は山でお会いしましょう!
かなり昔のアメリカ放浪記・ボクシング編 2006-02-22 00:27:31 | 旅 何を隠そう自分は大学の時、体育会ボクシング部に所属していた。今回の旅の相棒も同じボクシング部の同期生。当然の事ながらアメリカ、ボクシングと来れば行く場所はラスベガス。シーザース・パレス前で記念撮影。 自分たちがベガスに訪れた頃は11月の半ば頃。そうボクシングファンならご存知かもしれないが、89年の12月にこの地で80年代最後のビックファイトがあったのだ。WBC5階級制覇の偉業を成したスーパースター シュガー・レイ・レナード 対 「石の拳を持つ男」ロベルト・デュランの因縁のカードである。ちなみにアメリカでは放映権が高すぎて、有料チャンネルでないと生では見れなかった。(日本は東京12チャンネルで放送)その為、この試合を見たのは1月になってからである。 ラスベガス(ネバダ州)は州税が他の州より安く、ホテル、食事などもかなり安い。実に居心地がよく何日かモーテル住まいで過ごしていたある日、街中でばったりロベルト・デュランに遭遇する。突然の事で握手してもらう事が精一杯、一緒に写真を撮ってもらえばよかったと後で後悔した。しかし、実物は自分の想像より小柄で、不意を付けば一発ぐらいパンチが当るかもしれないと、ちょっと思った。(笑)実に感じがいい人でレナードも好きだったが、この時は彼に勝って欲しいと思ったほどである。 この時代(80年代)のボクシング界にはスーパースターが多くいた。 レナード、デュランもそうであるが、この男に勝てる奴なんか居るのかと思うほど、全てにおいて無敵だったマーベラス・マービン・ハグラー、そのライバル、トーマス・ハーンズ、いつもワールド・ボクシングは楽しみに見ていた。(ジョー小泉さんの解説もなかなかイケていた)そんなボクサーの中で自分的にはへクター”マチョ”カマチョがお気に入りのボクサーであった。彼のスタイルにはブーイングを呼ぶ所もあるが、とにかく凄いスピード、トリッキーな動きで観客を沸かせ、実に楽しい試合であった。日本の選手でいうと辰吉丈一郎が今までの中では一番スタイルが似ているかな? 放浪記からは横道にそれてしまいました。 ラスベガスについてはまだまだ面白い出来事が多々あるので、また次回書こうと思っています。 やっと腰も良くなりましたので、スキーに復帰します。と言う事なので次回放浪記はしばらくお休みします。
ちびまる子ちゃんランド 2006-02-19 20:30:38 | 家族 2年ぶりにちびまる子ちゃんランドにやって来ました。清水の次郎長、森の石松、清水エスパルスと並ぶ清水の有名人、ちびまる子ちゃんのすべてが判るアミューズメントパークとして、清水の新名所「エスパルス・ドリームプラザ内にある。 しかし、以前から変わった所は無くちょっと残念。ひろしは相変わらず風呂に入ったまま。 子供たちは学校に行き何やら熱心に勉強中。 オヤジは友蔵さんの心の俳句コーナーの前から離れず、友蔵さんの心の叫びに耳を傾けていた。 さあ、来週はテレジャックです。 久しぶりに滑るぞ~!
横浜 2006-02-18 01:23:40 | 家族 今日は家族でランドマークタワーに行ってきました。 ここにあるャPモンセンターという所に子供たちが行きたいとの事で、何でも今もっているゲームに追加できるャPモンをこの店でゲームに入れてくれるとの事、書いている自分もよく理解できないのだが、用はャPモンが貰えるらしい。 通勤割引時間帯に高速に乗りたかったのだが、支度が遅い為、通常料金で横浜まで。(マイルが貯まっていてよかった) 開店より早く着いてしまったのだが、すでに店の前には順番待ちの列が出来ている。子供たちを並ばせ、お父さんは外で一服。 その後、東京のいとこの所に遊びに行き、御殿場に帰ってきたのは23時。 長い一日だった。
かなり昔のアメリカ放浪記・スキー編 2006-02-16 00:00:42 | 旅 ニューヨークに何日か滞在した自分たちは、西海岸へ向けて移動する為グレイハウンズに乗り込み、大陸横断をする事にした。 車中泊に飽きてきた為、途中デンバーでバスを降り宿を探す。愛読書「地球の歩き方」を参考に、今回の旅初のユースホステルに泊まる事になった。 このユースホステルのオヤジが実にフレンドリーな人で、色々と面唐ゥてもらい、ここに何泊かしていたのだが、オヤジの勧めでここからそれほど遠くない、ウインターパークに行ってみる事にする。 ここはアメリカでは中規模のスキーリゾートだそうであるが、日本のスキー場からするとかなり大きい。宿はここでもユースホステルに泊まり、イギリス、オーストラリアから来た旅行者と一緒になり、スキー場でも一緒に滑る事になった。 体育会系の自分たちは種目が違うとは言え、外国人に負けるのはプライドが許さず、気合を入れて滑ったのは言うまでも無い(笑) この町で感じたことは、アフリカ系アメリカ人やプエルトリコやメキシコなどの南米の人をほとんど見なかった事である。なんとなく白人の町という感じがした。 スキー場の記憶が今ひとつさだかではないのですが、コースもいっぱいあり、楽しかった事だけは憶えています。 もう一つ印象深いのは、障害者のスキーヤーが多く居た事。車椅子にスキーをつけて滑っている方なんかが多く居た。 障害を持った方が社会に出て活動している事はごく当たり前で周りの人も必要以上に手を貸さず、なんか実に良い受け入れ方だな~と感心した。 サンフランシスコに滞在中もそれほど遠くないレイク・タホに行きたかったのだが、こちらは行く事が出来ず、今思うと惜しい事をした。 テレマークスキーを始めた今、また行ってみたい場所である。