なるほど真言は(天台もその中に入れて)、「神道」と或る種の抱合を遂げたことによって、修験道なるものが発展した。修験道は、一方では神道であり他方では仏教である、日本的霊性の外郭に触れたものと言ってよい。
鈴木大拙『日本的霊性』岩波文庫、77頁
大拙は、鎌倉新仏教に於ける仏教の発展を、日本的霊性の完成だと見ているので、それまでの修験道のあり方は、まだ「外郭」という中途半端な状況に留まっている。確かに、神道と仏教という習合的状況からすれば、大拙を満足させるものではなかったのかもしれない。されど、それは早計に過ぎるように思われる。
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