天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

お寺の「魔法」

2006-07-03 09:56:28 | 仏教
今日の「朝日新聞」の朝刊25面の読者投稿のコーナー、「ひととき」。
『お寺の「魔法」に感謝』というタイトルでした。
「お寺」とあるのでちょっと目を引き、読んでみました。
記事の内容をご紹介しますね。

  『お寺の「魔法」に感謝』

 小学4年の孫を珠算検定の試験会場まで車で送った。
 初めての試験なので「どうしよう」と落ち着きがない。
 運転しながら「初めてだから、練習のつもりでやればいい」「落ちたら、また受ければいい」「深呼吸しよう」などと言ってみたが、聞こうとしない。
 どうしたらいいかと思っていたそのとき、道の向こうにお寺が見えた。
 そうだ。これだ。
 時間に余裕があったので、境内に車を止めた。
 「ここは、おまえがお母さんのおなかの中にいるとき、丈夫に生まれますようにと、お参りしたところだから、生まれる前から守ってくれているんだよ」。そう説明し、「お参りして行こう」と誘った。
 「声に出してお願いするの」と聞くので、「出しても、心の中で言ってもいいんだよ」と話した。
 孫は、私が渡した硬貨を投げ入れ、黙って手を合わせた。
 効果はあった。試験が終わって出てきた孫は「できたよ。守ってくれたのかな」。
 普段、神仏を信じないのにこんなときだけ利用したようで後ろめたいが、いくら言い聞かせても落ち着かなかった孫が平静を取り戻した。
 結果はどうあれ、落ち着かせてくれたお寺の「魔法」に感謝している。

 (水戸市・女性63歳)


いろいろ考えさせられる、興味深い内容だな~と思いました。
やはり一般的にお寺は「願いごとを叶えてもらうところ」というイメージか、と思ったこと。
それから、お参りした後の反応も面白く読みました。
大人は「利用したようで・・・」と後ろめたい思いをし、対照的にお孫さんは「守ってくれたのかな」と素直に受け取っている様子。

お寺でお参りしたからといって、
仏さまは決して自分の都合通りのお願いごとを叶えてくれるわけではありません。
私たちは生まれた限り、
病気の苦しみも、大切な家族と別れる悲しみも、死ぬこともすべて避けることはできません。
他にだって、
試験に落ちたり、失恋したり、容姿に悩んだり、嫌いな人がいたり・・・
日常の些細なことすら思い通りにならないことだらけで生きているのが現実です。

お参りすることは、決してその悩みをなくすことではないのです。

どんなつらいときでも、悲しいときでも、苦しいときでも、
一人じゃないよ、いつでもどこでもあなたのことを見捨てないよ、だからどんなことがあっても安心して生きてほしい、と願いをかけて下さっている仏さまのおこころに、お参りすることを通して触れることが大切なのです。

この「お寺の魔法」とは、まさに仏さまのはたらきそのもの。

試験の合否とは関係なく、
仏さまにお参りすることでまるで魔法にかけられたように安心できたというのは、やはり子どもさんだから。
きっと素直な心に仏さまのこころが届いたのかな、と感じたことです。

(静)