天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

ハンセン病

2006-07-05 22:13:53 | 日々
千葉組僧侶研修会で、
草津にある国立療養所栗生楽泉園(ハンセン病患者の療養所)を訪問。

ハンセン病とは、
1873年ノルウェ-のハンセン氏が発見した「らい菌」によって
主に皮膚と末梢神経が侵される感染症のひとつ。
この菌の毒力は非常に弱く、化学療法の発達によって治癒するようになりました。
が、化学療法がなかった頃、
この病気は不治の病と考えられ恐ろしい伝染病のように受け止められてきました。
そのために、「らい予防法」によって、
全ての患者をハンセン病療養所に終生隔離するという対策がとられました。
(1996年「ライ予防法」廃止)
その療養所の1つが栗生楽泉園である。

ハンセン病は不治の病、遺伝病(感染する病)であると思われていたため、
強制収容にあたっては、患者や家族に事情等は全く無視され、あたかも罪人の逮捕と同様の扱いで、野良着姿のままトラックに押し込まれていった
親や兄弟と一緒に暮らすことが出来ない
実名を名乗ることが出来ない
結婚しても子供を産むことが許されない
一生療養所から出て暮らせない
亡くなっても故郷の墓に埋葬してもらえない
さまざまな非人間的な扱いをされたといいます。

元ハンセン病患者の詩人・塔和子さんに「いのち」という詩がある。


「・・・・笑い泣き/しなやかに飛びはね/すいっと立ち/どんな精巧な細工師の手になるものより/美しい/いのち/この微妙に美しくもろいもの/私も他者も/この神秘な/命の圏内にあり/そこからはみ出すと/忽ち/物体」
(『塔和子全詩集』編集工房ノア)

美しくもろい「いのち」が私たち人間が作り出した価値観の中で「物体」と見なされてしまう悲惨さ。
病にかかった悲しみよりも、
私たち人間が作り出した自分にとって有益か無益かという価値観。
そして、無益なもの有害なものは排除をしようという価値観。
健常者至上主義による悲しみの深さを感じます。

今日講演を頂いた栗生楽泉園自治会長 藤田三四郎さんがこうおっしゃっていた。
「ライ予防法」廃止、違憲国家賠償請求などは、患者の運動で勝ち取ってきた。
しかし、取り除けないものがある。
それは、差別・偏見の眼差しである。
今だに、実家に帰ったことがない。

最後に、
ハンセン病という病で苦しんでいた人がいたことを風化させてほしくない。
ハンセン病とは、不治の病ではないということを伝えたい。
と講演を締め括られた。

今を生きる私たちは、
ただ差別・偏見のまなざしをやめようという議論も必要だが、
その苦しみ・悲しみ時代を生き抜いた人々のメッセージを受け取ることも大切ではないだろうか。

納骨堂の広場にこんな看板が立っていた。
「さえずる宝石 緑が守る」

環境破壊・生きる意味の喪失・・・
今私たちの思いを超えた世界が、私たちの価値観を揺るがすような世界が広がっているのではないか。

(龍)