天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

京都の夏はやっぱり暑いです

2006-07-25 19:33:31 | 日々
京都からです。

大学院時代の先輩Tさんの和歌山にあるお寺(西方寺)で
行信教校(大阪にあるお寺の私塾)の天岸先生をお招きしての一泊二日の臥龍精舎の勉強会が開かれましたので、参加してきました。

テーマは「論題再考」
真宗教学は「安心論題」によってまとめられている。
だからこそ、浄土真宗僧侶にとっては興味深いテーマである。
後日、詳細はご報告いたします。

そいで、京都にいるのです。

私が、京都に行く時には楽しみがある。
それは、京都時代の友人たちと楽しい一時を過ごすことであります。


京都「一二三」の絶品ちゃんこ

お酒を酌み交わしながら、
近況報告・なつかし話・真宗談義などなど話題が尽きません。

おばあちゃん(前坊守)が島根に行く際、
50年ぶりに友人に会えると楽しみにしていた。
もう顔も覚えてないだろうと、事前に本人の写真を送っていた。

人生の一時を共に過ごしたという思い出は、一生忘れることはないだろう。
むしろ、年月が経過するほど、深い絆になっていくのかもしれない。
喜びも悲しみも1つ1つが思い出として心に残るのだろう。

久々にみんな笑顔を見ていると、1人で生きてるんじゃないんだなぁと実感します。

ありがとう

(龍)

ベル連続おもらし事件

2006-07-25 18:07:03 | 日々
今日は朝からお盆に向けて、案内の文書を作ったり、配布物にハンコを押したりという事務仕事の地味~な一日となりました。
といっても、ほとんどの日が地味ですが。

静かな一日の大騒ぎ事件は一つ。
ベルのおもらしです。

15歳の高齢ながら、最近腫瘍切除の手術を受け、初手術・1週間の初入院という経験をしました。
退院後、ぼけたのか・・・手術入院がイヤだったことへの腹いせか・・・どこにでもウンチやおしっこをして歩くようになりました。
カーペットにはしみがつくし臭いが残るしと、後始末が大変です。

動物ですから、ことばが通じません。
「ベルのためだったんだよ」と思いを伝えたくても、悲しいかな伝わりません。
退院後しばらくは家に帰れたうれしさに大人しくしていましたが、
落ち着いた今頃になって、「痛い思いをさせた上に、あんなところにほったらかして閉じこめるなんて!」と思い出したのか、怒りを表し始めた様子です。

こんなことから、「ことば」で思いを伝えることの大切さを考えさせられました。



阿弥陀さまのはたらきは十方世界に充ち満ちています。
私たちは、そのど真ん中にいるのです。
しかし、「ことば」がなければそのはたらきは伝わりません。

「悲しいときも苦しいときも決して一人じゃないよ。いつでもどこでも一緒にいるから大丈夫。大切な一日一日を精一杯生きてごらん。」

その思いを「南無阿弥陀仏」というお念仏を通して、私たちに呼びかけて下さっているのです。
決して呪文や魔除け、縁起が悪いものでもありません。
阿弥陀さまの願いがそのまま「南無阿弥陀仏」のお念仏となって、私に届けられているのです。

なんとなくわけがわからないものや、神秘的なものに魅力を感じたり、ありがたく思ったりすることがあります。
けれど、本当に伝えたいことがあるときには、そんなまやかしは必要ありません。
思いをそのままに伝えます。
それが「南無阿弥陀仏」
たった六文字ですが、そこには果てしもない願いが込められているのです。
み教えに遇うとは、それを心で聞いていくこと。

大事なことをベルのおもらし事件で考えさせてもらいました。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

(静)