佐野王子跡
佐野松原の西端、祓川(王子川)の近くにある熊野九十九王子社の一つで若一王子社とも呼ばれ、神域一帯は「若一王子の森」と呼ばれていたそうだ。
少なくとも、熊野詣が盛んであった鎌倉前期にはその存在が知られ、後には熊野那智大社の末社となったようで、明治の神仏分離で佐野宇山田にある神社に合祀され廃絶となったそうだ。
熊野詣の折は、佐野の浜で拾った小石を衣の袖に入れ、熊野那智大社に奉納する習慣があったとも伝えられている。
佐野王子社跡の石碑の近くには尼将軍供養塔やお地蔵さん、神武天皇聖績狭野顕彰碑などが立っている。
浜の宮王子社跡(熊野三所大神社)
浜の宮王子社は、三所権現、あるいは渚宮とも呼ばれ、熊野詣が盛んだった頃には、熊野九十九王子社の一つで、中辺路・大辺路そして伊勢路の分岐点となっていた。
現在は熊野三所大神社と称されている。
熊野那智大社参拝前にはこの浜の宮王子社前の那智の浜で潮垢離を行って、身を清めたといわれている。
そして熊野三所大神社の隣には、補陀落山寺があった。本来は、この浜の宮王子社と一体のものだったそうだ
補陀洛山寺
補陀洛山寺は補陀洛渡海の出発点として知られる寺。
南の海の果てに補陀落浄土があるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して船出することを「補陀落渡海」といい、赤い鳥居を取り付けた小さな渡海船に、外から扉を釘で打ち付けられ、閉じこめられたまま海に流されて、生きながらにして南海の彼方にあると信じた補陀落浄土を目指し修行したと云われる。
市野々王子跡
市野々には八咫烏の子孫が住むという。また、市野々とは那智詣での人出を当込んだ市が立ったことによりそう呼ばれたそうだ。
市野々王子社はもとからここにあったという説と、王子神社から100m程先の道路右手の市野々区コミュニティーセンター隣所に旧社地があり、江戸時代に此処に移されたのだという説があるそうだ。
鬱蒼とした社殿は趣がある。
旧社地と呼ばれる所には天照大神御影向石があるそうで、どうやらそちらの地が御幸時代の市野々王子社であったようだ。
次回はいよいよ最終回、大門坂・多冨気王子から
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