熊野速玉大社
古の参詣者たちの多くは熊野本宮大社から熊野川を舟で下り、熊野速玉大社に参拝したという。
神門
熊野速玉大社は熊野本宮大社、熊野那智大社と供に熊野三山を構成する大社。
神倉神社のゴトビキ岩に降臨した熊野権現を勧進するため、景行天皇の時代(西暦128年)に、まだ社殿の無い原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、現在の社地に真新しい社殿を建て「新宮社」と号したそうだ。
平安時代から伝わる熊野速玉大神像と熊野夫須美大神像をはじめ、七体の御神像が保存されているという。
主祭神は熊野速玉大神と熊野夫須美大神の夫婦神。
樹齢千年の梛の大樹は熊野権現の象徴として信奉篤く、古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めて参ることが習わしとされている。熊野牛王の御神符と梛の葉をいただくことが、難行熊野詣を無事果たす大きな支えとなったそうだ。
御神木の梛 左右対称の葉の形から夫婦円満のご利益があるとかも。
千早ふる 熊野の宮のなぎの葉を 変わらぬ千代のためしにぞ折る
藤原定家
神倉神社(ゴトビキ岩)
権現山の中腹に鎮座し、熊野三山に祀られる熊野権現が初めて地上に降臨した伝承をもつ古社。
熊野古道の一部である五百数十段の急峻な石段を登った所、天ノ磐盾という険しい崖の上に御神体のゴトビキ岩はあった。
毎年2月に行われる奇祭「御燈祭り」の舞台となっているそうだ。
ゴトビキ岩と急峻な石段を登りきる傍に咲くツルリンドウ。
眺める市街地と熊野灘の遥々とした眺めは、新宮市随一のビュー!
阿須賀王子跡(阿須賀神社)
熊野川河口付近の南岸、蓬莱山の麓に鎮座する古社。
歴史は古く、社伝によれば紀元前423年の孝昭天皇の代に創建されたそうで、秦の始皇帝の命を受け渡来した徐福にもゆかりが深く、徐福一行が上陸したのが阿須賀神社の建立地と伝えられているそうだ。
秦の始皇帝の命により不老不死の霊薬を求めて渡来した徐福。近くの街中には中国風の楼門を設置した徐福公園がある。
浜王子跡
当社は古来から海の神を祀る海浜の宮であったと思われるが、熊野信仰の発展とともに、熊野神の御子を祀る王子社として知られるようになったそうだ。
高野坂(登り口)から望む王子が浜
紀伊本線がすぐ目の前を走り、線路の向こうに白砂の王子ヶ浜が広がる。
古道の名所として知られた高野坂、高野坂からの熊野灘の絶景を眺め三輪崎へ、海沿いに佐野・宇久井を経て、補陀洛浄土への玄関口とされた那智の浜へと向かう。
次回は佐野王子から
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