
今日も一日守られました(^_^)
教会の礼拝のメッセージを通しても、夜のスネルゴイセラペイヤという癒しの学びの時間を通しても心に響く言葉がありました。
特に自分が罪人であり、神様の働きをさせて頂くのにふさわしくないものであるということを知るところから働きがスタートするってところが心に残りました。
最近読んだ本の中に、
伝道とは…、
こじきが美味しいパンを見つけ、そのパンのありかを別のこじきに教えるようなものである。
と書いていたのを思い出しました。
この意味深いなぁと思わされました。
この気持ちを忘れてはだめな気がしました。