昨日夜・・・いつもの逆切れ
久々の出勤の初出気が重いのか
子供の休み明けの駄々こねの様です・・・
朝2人とも神経の高ぶりの中
ととうは
私の亡き小さな縁まつりの場所のそばの貯金箱に
ぽそぽそと言葉を交わしていました
おかん(妻の)ごめんな・・・小銭で・・・・
亡きご先祖は自慢にならぬが小銭も苦しい生活で私を育ててくれました
障碍者だったもので味覚も障害が残っている中で
育ち盛りの私を高校まで育ててくれました
もちろん今ではないでしょう
内職を夜中まで手伝い学校では参観日に私がいつもうたたねをしていますがと
叱られていました
母いつも内職を手伝わしている引け目で肩身の重い参観日でした
高校の頃は生活に不憫な子はアルバイトが許され
夏と冬遊びもせずフルタイムで手袋の始末のバイトをし
その値の良いバイト代で
1年間のノートなどの文房具買い食い学校イベントの教材代と
まかなって時に母の日などのプレゼントなど買っていました
その負担軽減で母は御昼間の内職生活で過ごせ
私も期末テストの勉強たっぷりできたので
卒業の頃は担当先生に呼び出され
粗末な生活をされているのに塾に行かしているのかと言われる始末で
お前が頑張って勉強しているのを褒めてくれるかと思ったけれど
叱られて辛い・・・・と母は帰りの電車の中で泣いていました
男先生の歴史・社会・体育先生は
厳しい経済の中の両親に大学を出して頂いていたそうで
私の頑張りにはとても協力してくれ
留学退学をするわけいかないので学びたい質問には
いつもかみ砕いて説明して教えてくれました
裕福な生徒が売店で簡単にジュースを飲んでいた中
私は遠くで水飲み場で水を飲んでいたのを不憫に思ってか
時に自分の車を洗わせて50年代の100円をくれ
工夫しながら応援してくれていたのを
担任の女子先生は面白くなかったみたいで
ことごとく嫌味を言われ続けました・・・・
その縁まつりのそばの貯金箱に小銭を入れてくれていました
私が数年前その話をととうに聞かせ
小銭を粗末に置きっぱなしにしたらその貯金箱に没収しますよ!と
怒ったのです
その貯金箱の中は本当に小銭ですがもう重たくなっています
ととうにいつかアクシデントで小銭も足りない時は
この貯金箱に助けてもらおうねと
いつております
10円では買い物をできないでしょうが
飢えをしのぐことは出来るでしょうの重たさです
そしてもし老後 本当に大変困っている知り合いが大変な所を観たら
これをあげましょうとも言っております
亡き私の縁まつりのそばに
いつも貯金箱が鎮座しております・・・・・
お昼電話を入れたら足の方は大事なく邁進しているの事でした
朝は私の配慮で暗闇の朝なので
近いのですが駅まで車で送ることになりました
だんだん