当然、楽市なんて無い時代なので売り子がメイン。
金策で優秀だった鍛冶の生産で大量に炭を使うので
炭山に買い付けにくる鍛冶さんが居たり
「買取ま~す」みたいな大声が、当時の二大中央都市
甲府や稲葉山で飛び交っていました。
僧は生産修得の為に大量の粘土を使うので
当時は、炭を販売するより、数の取れ難い「蛙目粘土」や
水指で黒字生産出来る「木節粘土」と交換する事も多かったです。
そう言えば、ジャコウや天草なども
薬師や忍者の生産修得に人気で、物々交換してましたね。
その方は、最初は鍛冶屋でPLAYされていて
たまたま蛙目粘土と炭の交換希望が出てたので
声をかけたのが出合ったきっかけだったと思います。
しかし、当時は金策でこそ鍛冶は優れていたものの
信じられない人も居るかも知れませんが
今では考えられないぐらい「狩りで鍛冶?イラネ」な時代があったのです。
理由はいくつかあったと思いますが
○全体釣り技能が無い。(挑発のみ)
○当時の守護は「時々守ってくれる技能」のイメージ
○当然、警護も無い。
○さらに修理技能も無し。狩場は野外だし町まで修理に行きますよ。
まぁ、あまり詳しく無いですがこんな感じだったのでは無いでしょうか?
当時のメイン狩構成は、侍侍陰陰陰神薬みたいな感じだった気が。
自分は僧だったので、当然そんな狩場には行けなかったです。
話を戻して
それ以来、何度となく粘土と炭を交換してもらい
時には対話で色々おしゃべりしたりしていました。
と、ある日。
その方から対話が来ました。
「鍛冶を消して、陰陽作ろうと思うんです」
なぜ、追加でキャラを作るのでは無く
つくり替えだったのか、理由はチョット覚えてません。
初期の頃は、課金時は1キャラだけ作れて
ある一定期間過ぎると、キャラスロが2、3と増えていく
と言う仕組みだったと思うので、そのせいかもしれませんね。
当時の自分は、僧、陰陽、忍者の3キャラ保有でした。
今よりかなりマゾかったので、実質僧しか育ててませんでした。
やはり、鍛冶は炉に篭ってろ時代は、色々大変だったのかもしれません
色々考えがあっての事だと思うので
キャラ作り替えの為の手伝いをする事にしました。
初期振りなど色々話したり、考えたり。
当時は所属勢力によりボーナスがありましたね。
当時は2アカなんて珍しかったので
(というかMMO初心者の自分は知らなかっただけ
荷物移動などは、他人を介して移動するしか手段がありませんでした。
何処の町かは鮮明には覚えてませんが、
町に入ってスグ右に曲がると凹んだ場所があって
その先に道場があったような...
何となく、織田所属で那古屋だったんじゃないでしょうか?
その方の作り直しキャラがやってきました。
そんなに待った記憶が無いので、同じ織田所属でスタートだったと思います。
勢力ボーナスが魅力+1、火+1と煉獄が狩りの最大火力であった時代
陰陽にも悪くは無いボーナスです。
その後、その方は上杉所属となって時々話しをしてましたが
狩場が同じになる事も無く疎遠となってしまい
いつしか見かけなくなりました。
時は経ち、佐賀城へ攻め込む時の徒党員が一言
「昔ちまさんの袋を、リアル知人に薦められて買ってました」
当時、敵対勢力であった上杉と武田
僧である自分は、そんな事はお構いなしに甲府にも売り子に行っていました
時々ですが「屏風買ってます」みたいな事を言われた時もあったので
そんな感じかなぁ~と思っていたのですが
「知人、○○って名前の陰陽だったんですけどね。今はやってないけど」
そう。その知人こそが昔粘土と炭を交換していた、あの方だったのです。
その陰陽さんの名前は、NPCと同じ名前でした。
恥かしながら、この話を聞くまで、記憶の奥底に眠ってしまっていました。
その人の名前は「朝起きは苦手で眠い...」と言いつつ
今でも町の片隅にひっそりと佇んで居ましたとさ....
普通に後半の締めくくりに困りましたw
実話だし脚色する訳にもいかんしね...
そう言われると、逆に書いた方が面白そうだったねぇ。
って事で、編集いたしますた(*_ _)人
先生、これでどんなもんでしょ?
まぁ、想い出は美化されるもんなんですよ!!
やっぱりオチって重要っすね…w