やっとネットがつながりました。今まで私たちの安否を心配してくださっていた皆様ほんとうにありがとうございました。今回のことは未だに悪い夢を見ているようで,家から一歩外に出ると辛い現実に引き戻されます。何人かの知人が亡くなったり,安否の分からない状態です。
3月11日は津波に襲われる数時間前まで市内で最も被害の大きかった場所におりましたので,今思うと背筋が凍りつきます。運が良いとしか言いようがありません。地震は帰宅して間もなく起こり,あまりに大きかったので,おさまってから庭に出てみると,津波警報のサイレンと人々のどよめきが聞こえてきました。二男が“屋根が流れてるよ”というので海の方を見ると海面が上がり流されていく家屋や船が見えました。ですが下に通じる道路はすでに地元の消防団によって行けないように塞がれていたので下の様子は全くわかりませんでした。
家に戻って,電気と水道を確認すると電気も水もストップしていました。これは大変と,慌てて懐中電灯や電池,食料品などを家じゅうからかき集めました。夜になり暗くなると工場の方から火災による爆発音が聞こえ恐怖と不安が襲ってきました。帰宅する際すれ違った夫が帰ってこなかったのです。“絶対大丈夫,きっと避難所で子供たちや住民の人たちのお世話をしてるんだ。”と自分に言い聞かせながら,眠れない夜を過ごしました。翌日の夕方,夫は普段は車で10分ほどの避難所となった職場から,回り道して3時間かけて一時帰宅しました。無事が確認できほっとしたのもつかの間夫はしばらく避難所に寝泊まりするとのことでした。私と息子たちも翌日手分けして避難所のお手伝いに行きました。
私達一家はとても幸運でした。4日目には電気がつき,テレビで津波の被害が東北の太平洋沿岸部全域にわたっていることを知りました。8日目にアメリカのジュリアンからバースデイカードが届き,郵便物が配達できることを知りました。さらに10日目には水道が復旧しました。同じ市内でもまだ水道が出ない地域があります。停電だった時,私は庭のガーデン用ソーラライトを夜いざというとき外に出られるよう部屋のドア付近やトイレなどに配置しました。昼間のうちに外で充電しておけば朝まで光っていました。余震が続くのでろうそくのように火事になる心配がなく少々暗いですがとても重宝しました。
水が出なかったときは近くに沢や井戸水があり,最初はバケツなどに汲んでいたのですが,キャリーケースに2リットルのペットボトルをたくさん入れて運びました。女の私にはポリタンクは重いのでキャリーケースが重宝しました。それと料理やお皿を洗うときに大きな容器よりペットボトルの方が使いやすく,歯磨きや顔洗いに洗面所にも1ぽん置いておきました。
22日目の朝新聞が届くようになり,お陰様で私たちの生活はほぼ以前と変わりなく暮らせております。
昨日は震災後初めてネットに寄せられた皆様のコメントを見たり,私達のためにこんなにも多くの人たちが安否確認のために努力してくださっていたことを知り,とりわけ私の妹二人,実の妹とアメリカで暮らすジュリアンが必死で情報を集めていてくれたことに感謝しています。また震災後4時間もかけて自転車で北上から無事の確認に来てくださったAさん,いとこののりちゃん,ほんとうにありがとうございました。
今後のことですが,しばらくはブログをお休みして亡くなられた方々のご冥福を静かにお祈りしたいと思います。
何らかの形で大船渡市のお役にたてたらと思いますが,今はどうしたらいいのかわかりません。皆さんが是非訪れたいと思うような素敵な街になってくれればと願っています。
実は震災前にボンドホビータウンに応募した作品が現在ホビーショウが開かれている東京ビッグサイトのコニシブースに実物は送ることができなかったのですが,コニシ様のご配慮により写真で展示中です。
(ホビーショウは4月29日で終了しました。)
て。ふ。て。ふ。
ボンドとワイヤーワークの作品です。