TKK8695F'sDiary

知っている方はお久しぶり、初めての方は初めまして。
客車列車好きな主の備忘録のようなものです。

あの日から10年。

2021-03-11 23:05:43 | 日記

3月11日。それは・・・艦隊幼稚園園長こと天龍形軽巡の1番艦 天龍が進水した日

・・・でもあるのですが。それはそれでひじょーに大事なのですが・・・(本日の二次元Twitter界隈が天龍、伊401、涼風の進水イラストが多いのはその影響)

 

3.11から10年が過ぎました。当時小学生だった私ももはやポンコツ社会人に。

震災後、全国各地で見られたこのステッカー。これも当時の一つの記憶というのでしょうか。

震災直後、家に帰ってテレビを見てみると津波が町を飲み込む様、ずっと流れるACのCM、町中にあふれかえる人。尋常じゃないことが起こったのはすぐにわかりました。数日後には福島第一原発の爆発。原子力に対しての動きが変わった瞬間。広島、長崎、福島と世界に刻まれることとなった日本は、これからどうなってしまうのか。あの津波で被災した町は、これからどうなってしまうのか。小学生だった私なりに考えても全く分からなかったもの。

それから10年。

震災復興の象徴、三陸鉄道は旧山田線区間を含めて全線復旧、津波によってズタズタにされた町、鉄路、そして人。一つ一つ課題を乗り越え、廃線を乗り越えた先にあった物は・・・これからも闘いは続きますし、過去は消し去ることはできません。ありきたりなことしか言えませんが、常に前を向き続け、走り続けるしかない毎日の中で、この日は一度立ち止まり、振り返る日、そしてまた走り出すための糧とする。そんな日になるのでしょう。東北はもう立ち上がる地域ではなく、前を向いて走り続ける地域なのです。

走れ、東北!!


あけましておめでとうございます

2021-01-07 23:43:27 | 日記

あけましておめでとうございます。

新年も明けてから7日もたってからの挨拶となってしまいました(汗) ずぼらですね。

去年一年は疫病に振り回された一年となってしまいましたが、どうも今年もその勢いは弱まってくれそうにありません。かくいう今日から緊急事態宣言が再発令されましたが、お上があれでは国民が言うことを聞くわけなんてありませんよね。

そんな話はさておいて、年末は我ながら馬車馬のごとく働いた反動やどこにも行けなかったもんでずぅっと呑みながら模型を走らせるという寝っ転がり正月をしておりました。いつもはあまり大きく線路を展開できないものですから、こういう長期休みの時こそ虫干しさせてやりたいもの。しばらくケースにしまいっぱなしだった車両を久々に取り出してみたらウレタンの化学反応でせっかく塗装した車体の塗料が持っていかれているなど悲惨なこともありましたが。。。再塗装した車両をケースにしまう際はぜひとも保護紙に包みましょう。和紙が良いらしいですよ?

なんだかまた脈絡のない話ばかりになってしまいましたが、今年もマイペースにやっていかせていただきます。どうぞよしなに。


急行「きそ」の遊び方

2020-12-30 00:29:28 | 日記

予告からずいぶん経ちましたが、夜行急行「きそ」を客車の編成という観点から眺めてみることにしましょう。

尚、今後提示する編成はすべて編成「例」であり、実際とは違うことがあることをお断りしておきます。所定編成を基に当時の配置・模型としての見栄えで編成を組成しています。ご了承を。

さて、図に示したのは1964年改正時点での編成。名古屋客車区の車両がほとんどでナロハネ10のみが長野客車区です。元オハ61のオロ61も編成に見えますね。当時の名古屋客車区では

マニ60・・・32両

マニ76・・・9両

マニ32・・・5両

マニ31・・・4両

マニ74・・・2両

マニ72・・・1両

の陣容です。時代が時代だけにまだまだ戦災復旧車の荷物車が多い時代ですから、マニ60でなくこれらのマニ車を組み込んでみるのも面白そうです。一方、郵便荷物車は所定ではマユニとなっていますが当時の名古屋には配置無し、スユニも

スユニ60・・・1両

スユニ72・・・3両

のみと少数派でした。

1965年改正ではまだ変化なし。ただし列車番号が変わりました。

1967年改正でオロ61が抜け、代わりに名ナコのスハネ16が編成加わります。スユニもついに近代化されスユニ60/61となりました。

編成中に見慣れないオハ36という形式がいますが、オハ35の戦後型(折妻・キノコ妻車)に新開発のウィングばね台車TR40を履かせたスハ42を内装更新などで軽量化してオ級となった車両です。名古屋には当時の改造車数55両のうち実に3分の1強の22両が配置されています。もしかしたらもっと入れても良いのかも・・・?なお、オハフ45の向きはこれで正しいようです。あくまでも国鉄の内規に従っていれば、の話ですが。オロハネ10のきそとの付き合いはこの改正までとなります。

1968年改正、いわゆるヨンサン・トオ改正でオロハネ10が抜け、代わりになんと非冷房・戦前製造車のスハネ30が「所定」で「冷房車の」スハネ16と編成を組むこととなっています。国鉄でもこんな編成、かなり珍しいのではないでしょうか。この場合のスハネ16の冷房装置がどうなっていのか、気になりますね・・・それ以外だと所定ではオハフの次位にナハフが造結され、オハが1両分ナハに指定されています。オロハネからスハネになった分を吸収するためでしょうか。当時の長野に配置されていたスハネ30は

スハネ30 41、42、43、の3両のみで実質「きそ」専用であったことが伺われます。

1970年にはスハネ30が抜けオハネフ12となり、ここに旧客時代の「きそ」の基本的な姿が固まります。名ナコのスハネ16が2両連なる、ある意味普通の編成。スユニが名ナコ持ちから長野客車区持ちとなっています。

1972年改正ではスハネ16をどこかに取られたのか再びスハネ30が編成に組み込まれます。ただし今回は名ナコ所属車。

1年後の1973年改正で荷物車も長野客車区、2両の寝台車のうち1両がオハネフ12となり「きそ」の晩年の編成はほぼ固まります。

1975年改正ではオハが1両増結、代わりにナハフ・ナハの指定がなくなります。ただ、この時代ともなると電化区間の進展により牽引定数に余裕があるため決してオ級車だけでなくス級車が入ることもあったようです。

この編成が82年まで続き、82年より12系にマニ50・スユニ50とピカピカの青い新型客車となって廃止を迎えることとなります。

 

「きそ」というとやはりオロハネ10が有名な列車ですが、オロ61やスハネ30、スユニ72と面白いメンツが入る事もあった「きそ」。KATOの編成だけでなく思い思いに手を加えて旧型客車らしい雑多な編成を愉しむ参考となれば幸いです。


KATO 2021年4月ポスター

2020-11-29 22:43:16 | 日記

KATOから来年4月発売予定のポスターが公開されました。

223系・0系は範疇外なので触れません。旧型客車セットとして青い旧客の4両セットと製造時より荷物車だったマニ60がラインナップ。

全車電気暖房搭載でプレスドアのままのオハ47・編入車ではないオハ46にアルミサッシのスハフ42と非冷房のオユ10と東北の列車をイメージしてセットされているようです。所属表記は前回の旧客4両セットに倣って「関スイ」表記に。以前からある単品ではそれぞれ特定の所属が印刷されていましたが、編成にしたとき使いにくいとの意見でもあったのでしょうか? 私は好きですけどね、関スイ表記。メーカーとしてもいろんな機関車にそれこそ「適当」につなげて遊べる客車としてリリースする、という遊び方なのかなと。

よく、「旧客ってどうつなげばいいのかわからない」という声がありますが、国鉄の内規によりそれぞれの車両で便所の位置、車掌室の位置などは決められてはいますがそれ以外はそれこそ「適当」。同一形式、同一形態の客車が連なっても全く違う客車が連なっても不自然じゃない、それが旧客です。じゃあ、どうやって適当につなげればいいの?となりますから、それの答えがこういう形なのではないかと思います。

 

さて、お次にマニ60。これは以前から何度かセットに含まれてきた車両で、古くからあるオハユニ61/オハニ61改造タイプの車両とは違う、狭窓が並ぶ形態の車両です。台車をスハ32と取り換えてマニ61となった仲間もいましたし、ストーブを付けている車、便所周りの窓配置が違う車、各扉がすべて鋼製になっている車など本当に百鬼夜行。マニ36のように見た目が大きく違うわけではないですが、同じように見えて奥が深いのがこのマニ60という車両。なんせマニ60の歌なるものがあるくらいですから。東海道線の荷物列車から蒸気にまで。

さて、今年も気づけばあと1か月。なかなか懐が寒いですが、心穏やかに模型ライフを過ごしていきましょう。


お久し振りです。

2020-11-24 21:12:07 | 日記

またお会いしましたね。いえ、初めまして、かな?

人々の願いと奇跡が作った水の星アクア・・・は遠けり。

昨年12月のヤフーブログ閉鎖、年末進行の忙しさでサービス終了を31日だと思っていたせいでブログが消し飛び、以来久し振りの再開となりました。

ブログを再開するならこの日、と決めていた日の再開となります。

2年前の今日、私の青春7700系が東急の線路上から走り去った日です。あれから2年、青春は遠く7700系も遠く養老の地で現役で走っています。私も負けないように頑張らねばならんですね。

まとまりのない文章ですが、とりあえず久しぶりの記事だとこんなもんなのでしょうか。今後とも、細く長くやっていかせていただきます。