私は「宇宙の理」という雑誌に、私が管理している「おもいで」のホームページとは別に、志摩川さんの前生のおもいでに付いて、10月号から連載を始めました。
「おもいで」の志摩川さんの文書はそのままですが、私の所感は書きおろしていて別の文書になっていますので、本が出版された後、暫くしてから紹介していくつもりです。
今日はその第一回目の10月号をリライトしたものです。
おもいで(その1-1)
はじめにご紹介する前生の記憶は、志摩川さんによると恐らく第二次大戦中に軍人であった前生の記憶が中心となります。この「おもいで」は次月の死後の霊界での「おもいで」に続きます。
『私は兵舎の自室の椅子にすわって、今日は少しやりすぎたかなあなどと思いながら、窓の外を眺めている。私は元来他人に厳しくあたるのは性格的に好きではないが、部下達が軍隊に入ってきて私となんらかの縁ができたいじょう、他の隊に異動させられてもこの狭く厳しい社会の中でなんとか要領良く生きぬいていってほしいと願っているので、ついつい厳しい態度に出てしまってきた。(中略)私が直接部下に行なってきたことを思い返せば厳しいことだけである。みな私を嫌っているだろう、誰も私を許そうとする気持ちなんか持ってはいないだろう。でも全員、それがだめでもせめて自分の部下達だけでもみな無事に日本に帰ってほしい。
私は自分を堅物だと思っていたが、私よりも上手がいた。その人物は私の前で『共産主義が正しいと信じる』と最後まで言い続けていた。私はどちらかというと自由を好む方なので他の人の主義主張まで強制的に変えさせるつもりは全然なかったが、あまりにも公然と言い張るのでこの者と家族の生命が心配になってしまい、信じるのは結構だが主張だけは遠慮してくれとお願いする破目にまでなってしまった。』
新しい地球への変化が現象化され始めた今、もう私たちは人間が決めてきた良い悪いという概念形成から自由になる心得をしていきたいものです。
ソ連、東ドイツなどの共産主義国家の解体や今の北朝鮮の在り方を見て、私たちは共産主義が正しい政治体制ではないと理解しました。しかし実際にはそれも人間が勝手に決めているものです。共産主義国家は私有財産ではなく物はすべて共有化されるとの理想を掲げ、その概念を実現化しようとしたものです。
しかし心が共有(和)を受け入れなかったためにその理想は実現しなかったのです。「現実は心の反映」という宇宙の法則の基本すら地球人は理解していません。実際のところユートピアである新しい地球にはお金がなく、資本主義より共産主義のほうがずっと近いものです。
また民主主義にしても人類は人を許すこと、自分の欲を抑えるということができませんので、多数決や法律に従うという現代民主主義すらも正しく運営していないのです。そしてロックフェラーやロスチャイルド、モンサントなどの財閥は自己利益追求に邁進し、民主主義を隠れ蓑として利用して政治を操り、世界をワンワールドの世界へと変えようとしているのです。
私たちが現代の常識に呪縛され、決めごとに心を縛られれば縛られるほどに比例して私たちは騙されるのです。私たちの学びはもうそういった決めごとではなく、もっと自由な心と意識の形成に邁進しなければなりません。いま私たちに必要なのはイデオロギーという概念を強く抱いて生きることではなくて、全体の中にある素直で純粋な本当の自分を強く生きる意志なのです。
この前世で志摩川さんは軍人として生きて、日本の敗戦時に日本に帰らず、中国で仲良くなった娘と暮らし始めました。その理由の一つとして、自分は日本で何不自由なく生きてきたが、それは家が裕福で親が教育から何から何まで決め、親の敷いたレールに乗って生きてきたからです。それで自分一人では何もできないのではないかと不安をもっていて、親への依存心を断ちきれずにいました。それで家族との決裂を決断したのです。
志摩川さんは中国に残るとの決意を部下に告げた時、過去の自分を捨てたいがために自分が戦死したことにして欲しいと言いました。そして中国で娘との暮らしが始まり、やがて畑仕事を始めるようになりました。
『ある天気の良い日、濯漑用水路の横を歩いていると女性が叫んでいるのでよく見ると、小学生ぐらいの男の子が水に溺れているのが見えた。私は石垣に注意深く手をかけながら男の子の方へおりていった。流れはものすごく急で男の子はかろうじて草のようなものにつかまっている。私は身体半分水の中につかりながら男の子を流れの中から引き出した。(中略)
運良く男の子の手は上の男達につかまえられたが、私の身体は首から下がその流れの中に入ってしまい私は男の子の足にぶら下がる格好になってしまった。私の身体の重さと流れている水の強い抵抗力が全て男の子の足にかかっているので、私がぶら下がっているために男の子の身体にものすごい激痛が走っているのがよくわかった。私が生き延びたいがためにこれ以上男の子を苦しませることは、男の子のためにも、ここでお世話になった神様のような人々のためにも、人間として生きていくためにもいけないことだと思った。私は自分の手の力を抜いた。水が鼻と口から入ってくるのと、用水路用のトンネルの中をもの凄い勢いで流されているのがわかったが、不思議と苦しくなかった。
気がついてみると、私は彼女の家の中にいた。まだ自分自身が生きているみたいである。下を見ると私か寝かされていて、彼女が私の身体におおいかぶさって泣きじゃくっている。彼女に話し掛けたいが全然気がついてくれない。何日かそういう状態が続いた。 (中略)
自分が生きているという感覚はあるのだが、どうも私はあのときからもとにもどれないような状態になってしまったようだ。でも考えたり悩んだりは現にしている。ただ誰とも自分の思いや悩みを打ち明けたり普通に会話したりすることさえできない。他人が目の前にいても意思の疎通ができない。空間に浮いているだけで、単調なさびしい世界である。それにもうもとには絶対にもどれないのではないかと感じたとき、彼女にはたいへん世話になりながら何の恩返しもできなかったことについて初めて後悔をし、なおいっそうさびしくなった』
死んでから、人は霊界で後悔するのです。
人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わったオーストラリアの 看護師のBronnie Ware さんによると、死の間際に人間はしっかり人生を振り返るそうです。また患者たちが語る後悔には同じものがとても多いということです。死を間近に控えた人々が口にした後悔の中のトップ5は1から順に以下になるそうです。
1.「自分自身に忠実に生きれば良かった」
「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きれば良かった」という後悔です。人生の終わりに、達成できなかった夢がたくさんあったことに患者たちは気づくのだそう。ああしておけばよかった、という気持ちを抱えたまま世を去らなければならないことに、人は強く無念を感じるようです。
2.「あんなに一生懸命働かなくても良かった」
これは特に男性に多い後悔だそうです。
3.「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」
自分を殺して世間の常識に生き方を合わせてしまたことを悔います。
4.「友人関係を続けていれば良かった」
連絡が途絶えてしまったかつての友達に想いを馳せるそうです。
5.「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」
「幸福は自分で選ぶもの」だと気づいていない人がとても多いのだと Ware さんは指摘します。
http://youpouch.com/2012/02/06/53534/
ほとんどの人たちはそのとき、本当の自分を生きていなかったことに氣づくのです。 古い習慣や世間の常識という自分以外に自分を合わせ囚われた人生を当たり前のように送ります。そしてそれを「幸せ」と勘違いして生きています。自分の魂の想いに正直になっていない人がそれだけ多いということです。素の侭の自分を生きることはそれほどに難しいことなのです。
別の見方をすれば、本当の幸せに氣づいていないということです。本当の幸せとは、魂や全体意識の領域にあるのですが、私たちが日ごろ繋がっているのはマインドの自分の部分です。マインドという自分からの情報の下で生きていて、すべての正邪善悪の判断をマインドでしかしていないので、正しい判断ができない訳です。
しかし緩和ケアという場所で患者たちは氣づきました。自分自身のこれまでの生き方を顧みて観察する時間ができたことでそれが可能となったのです。だから私たちも死ぬ直前ではなく、「いまここ」でそれに氣づく必要があるのです。氣持ちの持ち方ひとつでそれが可能ということです。日々、日常から離れて無になって自分の心を観るという洗心を、日々送る必要があるのです。そうすれば私たちは演じたくない人格を日々演じていたことにも氣づくのです。
『ある日、家の中に僧侶が入ってきた、彼女がお経でもあげてもらおうと思ったのだろうか。その僧侶が私の方をじっと見上げている。どうも彼には私が見えるようで、私を認めることのできる人間が現れたと思うだけでうれしくなった。
僧侶は彼女に悪霊がいると言っているが、彼女はただきょとんとしているだけである。そういえば喋っている言葉が理解できるなどと思っていると、僧侶は私の方を睨み上げた。その悪霊というのは私のことらしい。別に私には悪さをしようという意思はまったくなかったので、私の存在がわかるのなら私が言えばわかるだろうと思って、一生懸命その僧侶に自分は悪霊ではないと伝えようと頑張った。彼には伝わったようだが、嘘をつくなと断じて取合ってくれない。
僧侶が手の指をいろいろと組替えながら呪文を唱えると間もなく私の方へ何らかの力が向ってきた。そのとき私の防衛本能が無意識のうちに働いたのか、お互いの力がぶつかり合った。思いもよらず戦うはめになってしまった。僧侶が手の指をいろいろと組替えながら呪文を唱えると間もなく私の方へ何らかの力が向ってきた。そのとき私の防衛本能が無意識のうちに働いたのか、お互いの力がぶつかり合った。思いもよらず戦うはめになってしまった。
しょうがないなあと思いながら下を見ると僧侶が倒れている。右側を向くと倒れているのと同じ僧侶が私の横の空間にいて、彼の目はギラギラひかり顔付きも険しく邪悪そうに変わっている。解放されたおかげで何でも俺の思い通りになるという思いが彼の方から伝わってきた。まだ戦うのかと思って身構えると変な声で高笑いしながらどこかへ行ってしまい、あとには静寂だけが残った。
二度と彼女に迷惑をかけないようにと何もしないでぼうっとしていると、私と同じような種類の仲間らしき者が近付いてくるのがわかった。彼は私の側に近付くといきなり「もうそろそろ行くべきところへ行ってもいいだろう。」と言い出した。私は「何だ、行けるところがあるなら早く教えてくれればいいのに。そうすればあの僧侶も魂が助かったかもしれないのに、自分だって精神的にこんなに苦労しなくてもよかったのに」と思いながらも素直に後に付いて行こうとした。すると彼は「彼女をそのままにしておいていいのか」と言ったので、私はむかっとして「いまさら何をしろというのか。もう何もできやしないじゃないか。彼女にもう迷惑をかけたくないんだ」と腹立たしく思いながら、その言葉を無視して彼のあとに付いていった。
そこで私の人生の最初から最後までの私の思い・考え・言動・行動などが一瞬のうちにまるで今自分が実際に体験しているかのように、正確に完璧にもう一度繰り返された。複雑な思いをしながらも感心していると、まるで罪人を扱うような高飛車な態度で私の人生についてけなし始めた』 ― つづく ―
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後悔の念は子供の頃より、人以上にある...と自分でも気にしていますが(会社で働いています時は家での家族に対します行動.言葉への後悔、また食事面やどれ程精進出来たか..又、家に居ます時には会社でもっともっと仕事に集中して感謝で取り組みたかった...等々。)
そんなに全て直ぐに望み通りに行く筈は無い、と分り?つつも、また最近では「今ここからが新たなスタ-ト!」と多少は厚かましく考えられつつあります様ですが...。
「霊界で人が後悔する事」の内容に頷いてしまいます。
しかし、今生の重要性をお教え頂いています事からも、日々の反省点は暗く捉えるのではなく冷静に直視していかなくてはなりません事、(改善への創造の必要も...)感じますこの頃ですが..。
淡々とした努力に励まさせて頂きたいです。
失礼致しました。
合掌
公開しないためにも、やはり自分の「今」を生きることは大切ですね。
すべてはそれができていないために混乱も後悔も生じているのですね。
有難うございました。