真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

原発文化人50人斬り3

2011年08月06日 22時15分03秒 | 東日本大震災関連

今回は原発から宇宙の法則に話しが及びます。

8月4日の「原発文化人50人斬り2」で、
「私が書いているのではないですけれど、どうもこの本を紹介していると、人を批判するのが延々と続くことになるので余り気が乗らないのでこれで最後にします」と書きましたが、考えたらこの本は斬っているだけではなくて、東電の歴史とか、メディアと原発の関係とかについてもページを大きく割いていました。
また第2章では「反原発の群像」として、高木仁三郎、松下竜一、広瀬隆、小池裕章、忌野清志郎などを挙げて紹介し、解説していました。

特に故・高木仁三郎氏については反原発のシンボルとして詳しく紹介しています。

高木仁三郎氏については
ウィキペディアでは下記の紹介があります。

  1995年、『核施設と非常事態 ―― 地震対策の検証を中心に ――』 を、「日本物理学会誌」に寄稿。「地震」とともに、「津波」に襲われた際の「原子力災害」を予見。
「地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展」 するとして、早急な対策を訴えた。
福島第一原発 について、老朽化により耐震性が劣化している「老朽化原発」であり、「廃炉」に向けた議論が必要な時期に来ていると (1995年の時点で) 指摘。 加えて、福島浜通りの「集中立地」についても、「大きな地震が直撃した場合など、どう対処したらよいのか、想像を絶する」と 、その危険に警鐘を鳴らしていた。


高木氏がどのような活動をしていたかはここでは書きません。
そもそも高木氏について、私はよく知りませんので。
しかし上の文書を見て分かるように先見の目があった訳です。
東電側を観れば、欲と我が真実を知りたがらなくしてしまった、ということです。
欲と我は真理に対して壁を作ります。

それで今日ここでは、反原発に対しての嫌がらせなど、これまでも大マスコミではニュースなどになっていないところがありますので、紹介して見ます。

「原発反対」の運動をどう潰すかというのは、電力会社や労働組合や、袖の下をたくさんもらっている人にとっては命題としてずっと存在している訳です。
アントニオ猪木のように金のためなら簡単に人を裏切るようなアホが、 たくさんいるのです。
反原発潰しが今も変わらないのは、相次ぐ「やらせ」で明白な訳です。

また直接的に原発反対者に対しては様々の嫌がらせをしてきたようです。
例えば注文をしていない寿司を何人前も度々自宅に頼んで届けさせたりとか何とも卑劣ないじめが起きていると言います。
ここに平然とやらせをする電力会社の存在とその意図が見え隠れすると言います。

高木仁三郎氏の連れ合いだった中田久仁子氏は週刊現代の2011.5.21号でこう述べています。

『嫌がらせはいろいろありました。
注文してもいない品物が自宅に届けられたりするのはしょっちゅう。
散歩途中に車に轢かれそうになったことも一度や二度ではありません。
自宅の前には不審な人物がいつも張り付いていて、講演に出かけると、一緒に電車に乗ってくる。
いちいち驚いていられないほどです。
こちらは常に緊張していたけれど、彼(高木氏)は淡々としていましたね』

実に驚くべきことでが、自殺に見立てる殺人など政治の世界では昔から行われていたことです。

2000年12月に東京の日比谷公会堂で開かれた「高木さんを偲ぶ会」には何と2000人の人が集ったとのこと。大変に愛された人であったと判ります。
また久仁子夫人の先の週刊現代での発言からも、使命感強くブレない人であったと想像できます。

高木氏は宮澤賢治が好きだったことが良く知られていて、偲ぶ会でも賢治の「農民芸術概論綱要」の一節が朗読されたそうです。
この詩の序論は大変有名な、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」の一節があります。
この詩は実にすばらしいものです。

紹介しますので是非是非読んでください
「原発文化人50人斬り
 」には下記の金色の部分だけを紹介していましたが、「序論」から紹介します。





「農民芸術概論綱要」

序論

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……

 おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
 もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
 われらの古い師父(しふ)たちの中にはさういふ人も応々あった
 近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
 自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
 この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
 新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
 われらは世界のまことの幸福を索(さく)ねよう 求道すでに道である
 
農民芸術の興隆

 ……何故われらの芸術がいま起らねばならないか……
 曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
 そこには芸術も宗教もあった
 いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである

 宗教は疲れて近代科学に置換され然(しか)も科学は冷く暗い
 芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
 いま宗教家芸術家とは真善若(もし)くは美を独占し販(う)るものである
 われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
 いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
 芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
 ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
 都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ



「序論」において、
宇宙の真理を知り、霊能者でもあった賢治は、生命活動の真理を知っていました。
まさにユートピアの秩序についても、幸せの原理についても造詣が深かったのです。

そして「農民芸術の興隆」において
私たちの人生は芸術そのもの、ということは真理なのです。
これについては明日、書くかもしれません。


○それで頭に浮かんできたことがあり、僭越ですが私も詩を書きました。

幸せは皆がひとつになることで初めて成就する
私という全体にとっては
たとえ一カ所の傷であっても私の心を痛めるから
すべての神経が私に繋がっているからだ

「私たち」とは「私」が集ったにすぎず
私たちの分霊が私なのだ
だから私たちはそもそも一体なのだ
私という存在とあなたという存在の別離は
ひとつの幻想にしか過ぎないのだ
何故ならば、私たちは既に一体であるのだから
分かれて存在するものは個性でもなければ我でもない
唯一存在している固有とは、役割でしかない
私たちが一体となって
意識の統一された
一切の無駄のない生命活動を
成就する役割でしかない

耳をすませば聞こえてくる
待ちに待ったその日の足跡(あしあと)が
与えられるものに偶然はない
与えられるものに一切の無駄もない
与えられるものは神の息吹である
与えられる艱難(かんなん)も神の息吹の変り身なのだ
神の息吹を大きく吸い込もう
恐れるものは何もない
その足跡はたとえ艱難という神の息吹でも
あなたには受け取る意味がある
受け取る価値がある
決して逃げてはいけない
神からの贈り物から
未来からの贈り物から
決して逃げてはいけない

日の本の子よ、光の子よ
あなたは観ることができる
あなたの道は真っ直ぐに続き
広がっているではないか


最後は思わぬ方向に行ってしまいました。

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3 コメント

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嬉しい ! (花かんざし)
2011-08-06 22:54:31
とびらさんの詩、とっても素敵

またまた感動して涙が止まらない。

返信する
Unknown (☆たけ☆)
2011-08-07 01:04:23
僕も感動しました!
高い次元からのメッセージようですね!

素敵な詩をありがとうございます。
返信する
Unknown (とびら)
2011-08-07 07:00:26
花かんざしさん、☆たけ☆さん、有難うございました。
返信する

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