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繰り返しになりますが、霊界でも現生でも、自分の想念が自分の環境をつくっていることは何ら変わりのないことですが、霊界では氣づきが現実に及ぶのが瞬時に起きていることが分かります。
肉体をもつことで私たちは心をつくりマインドをつくり、エゴ意識に先導された思考を始め易いのですが、死んで肉体がなくなってもなお、それを断ちきることはできずに持ち続けています。ですから執着があると死んでも楽にはならず、霊界でも地上と同じ苦しみが続いています。
その中でも恨みというものはカルマを動かしているだけあって影響力は大きいようです。恨みが残ってしまう一つの大きな理由は、自分に降りかかった災難は自分が存在していてこそ起きていることを認めず、すべて他人の所為(せい)にしていることがあります。
それを解かっていても霊界で処理できるものには大きな限界があるようです。志摩川さんが言うには、生まれ変わっても自分の性格は大きく変わることはないと言います。
それだけ魂の純粋な意識以外に自分で作り出した意識を霊界に持ち込んで、更にそれを地上にも再び持ち込むことを何世代に渡って経験しているのだと思います(魂の純粋意識には個性の一切がない)。ここで語られている志摩川さんの意識は、純粋な魂の意識のみでないことを理解しておきましょう。むしろ主体になっているのは魂(愛)以外のそれと対極している幻想としての意識なのです。しかし幻想であればこそ、いつかはクリアして超越できるのです。
ちょっと話しが変わりますが、想念に反映される現象ということで関連したことで加えますと、志摩川さんとお話していて彼は自分の今生の経験上、相手から被害を受けそうになっても自分からそれを攻撃しようとしない限りは実際には攻撃されることはないと言いました。
実際にそうなのだと思いますが、人間の学びというものはそこまで行くのが大変なのです。そこまで自分を信じて神を信じ、すべてを許して受け入れるという心境に達しなければならないからです。
最終的には学ぶべき意識を超越するとしても、普通はその前にクリアすべき学びと身に付ける意識があるのです。例えば夜中に凶悪な強盗に遭遇(そうぐう)して家族に刃物が向けられたら、自分の命を犠牲にしても強盗に立ち向かって争う勇気を育むことも、無抵抗になる前の学びです。
昔、自衛のための戦いを否定する私の高校時代の友人が、自分は朝鮮やロシアから侵略されても無抵抗を貫(つらぬ)くと言いましたが、無抵抗になって悟ったふりをする前に、自己犠牲や愛する者を守ることの勇気を卒業しなければならないのです。
真理は絶対であると同時に人それぞれの進化に合わせて普遍性あるアプローチをしてくるのです。
真理は絶対唯一だけだと思っているとそれもこだわりとなります。真理は絶対性だけでなく普遍性をも持つからです。
『そのうちに、相手の望むままに操られていて酷(ひど) い目に合わされているのはわかるが、その状態でも全く何も感じないままでいることができるようになった。心が落着いてくると相手の考えていることがわかるようにまでなってきた。腹を立たせて痛み苦しみが時々復活させたりしながらも、だんだんと相手が理解できるようになりはしめた。』
何も感じないとはマインドが感情で揺さ振られないということです。相手の考えていることが分かるとは、自他一体になるということです。以前本誌で数号に渡って紹介した石切りの仕事の話(471号より)で言えば、全体の一員となって全体の意思を無心で観じて行動することが大切なのです。
今回の物語を読むと霊界とは何と勉強になるところなのだと思ってしまいそうですが、聡明な観察力があってはじめてそう言えることですし、実際には地球時間で結構掛かっているのかもしれません。
また肉体がない分、元々居た魂の故郷までは肉体で発生したマインドの意識を断ちきって早く行くことができるとしても、自分の霊位に見合った場所に達した後は、やはり霊界は地上以上には霊位を整え霊格を上げる進化の場とはならないということなのです。
以下は志摩川さんの本来の霊界の位置に段々と近づいて行っている様子がよく判ります。
自分が変わると周りも変わり、周りも自分そのものの反映であったことが判ります。
『そのころには、自分の身体がどんなめにあっているかは認識できても、自分の身体が有って無いような感覚になっていた。相手のことを思い心配する気持ちが強くなってくると、こんどは今まで経験したことも無いほどの幸福感に満たされるようになっていた。
これが至福の状態なのかと思えるようになったときにはもう何も恐れるものが無かった。また例のあの体格のよい者が私の様子を見にきて、私にいろいろなことを言ってその反応を調べている様子であったが、私にはそれに反発したり腹を立てたりする気はもはや無く、何を言われようと心は穏やかで至福感に満ちていた。
先程まで私を支配していた者が夢からさめたようにごく普通の人になっているのがわかった。いっしょに明るい世界に向かった。彼は彼自身にあった世界におろされることになってるそうで、途中で彼と別れることになった。私は彼がどういうところに行くのか少し気になったが、彼の方は私とは初対面だと思っているらしく、お互いに軽い挨拶で別れた。
平和に満ちた穏やかな心はもともと誰でも持っていて、アンバランスな知識・固定観念・価値観・プライド・我欲などを捨て去ったときに本来持っている自分の真の心にたどりつけるということ、それにそれはこんなに近いところにあったということに気が付いた。
今向かっている世界について何の期待もないかわり何の不安もなく、真に素直な心でことの成行きのすべてをお任せしていた(アンダーライン=とびら)』
「成り行きのすべてをお任せしていた」とは、全体の一員となって個我から放れたということです。
個我は執着ですから心配心や怖れがあるのです。
終わり
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マインドにとらわれずに本当の心で「今」に生きます事への希望が沸いてきます...。
いつも有難う御座います。
不安と心配心は私もいつも持っています。
それを払拭することが私たちの最終の目的です。
私たちの心に愛があふれたとき、不安も心配も、その一切が消滅するからです。
有難うございました。